【事実は小説よりも奇なり】絶対に足を踏み入れてはいけない禁断の地、北センチネル島とは?
- 2021.01.24
- 事実は小説よりも奇なり

どうも、さかいです!
皆さんは、もし絶対に押してはいけないボタン、決して足を踏み入れてはいけないと言われた場所があったら、どうしますか?(笑)
別にどーもしねーよなんて声が聞こえてきそうですが(笑)それなりに気になる人も多いのではないでしょうか。
そう、人間って不思議なもので、駄目と言われたり、禁じられたりすると、そのことに対し返って興味を惹きつけられてしまうんですね。^^;
筆者も昔、友達と廃墟になる街に行ったことがあって、(今はダムの底)それはもう好奇心をくすぐられたものです。w
余談ですけど廃墟ってどうして、ああも人の心を惹きつけるのでしょうかね。
何か不思議な魅力に満ちあふれている気がしてなりません。
さて、今回、ご紹介するのは、そんな禁断の地の代表格(?)とも言える、北センチネル島。
詳しい方なら、一度は耳にしたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか?^^
何故、この北センチネル島が世界一、危険な島と呼ばれているのか?
その理由は島の住民、センチネル族の攻撃的な性格にあります。
北センチネル島はインド洋東部ベンガル湾内に所在する未開の島で、インド領アンダマン諸島に所在し、南アンダマン島の西約30kmに位置します。

この島の先住民であるセンチネル族は外部との接触を強く拒否しており、行政当局も何度も追い返されてます。
行政当局は感染症の流行により民族絶滅の可能性もあるため干渉しない方針であり(いわゆる非接触部族)、インド政府の法律で島への接近は禁止されているというのが現状です。

センチネル族の人口は50人から400人程度。
主に狩猟や沿岸での釣りで食料を確保しつつ、石器時代的な生活を営んでいるとされますが、非常に排他的であり、外部との接触に対して極めて否定的な態度を取っている事もあり未だ詳しい事はよく分かっていません。

アンダマン島一帯にはセンチネル族を含めて多くの先住民族がいたとされ、センチネル族の先祖も太古の昔、外部の人間を含めた他の先住民との交流が多少はあった可能性もあると言われてますが、いつからかそれら民族との接触を断って以降は現代まで外部との接触を拒んで来たと言われており、現代では少数となったそれら先住民族の血を引く末裔の中にもセンチネル語を理解出来る者はいないとされています。
要するに外国人や部外者には訳すことのできない、彼らセンチネル族独自の言語が存在するというわけですね。^^
21世紀になっても尚、外部との接触を一切拒否しており、ごく近年でも漂着をしたり、上陸を試みたりした外部の人間がセンチネル族に殺害される事件が発生してます。
1880年には当時、この地域一帯を支配していた大英帝国の海軍将校が数人のセンチネル族を島外へ連れ去る事件も起きていますが、記録に残る限り、AnSIによる1991年の1月と2月の接触時の2度のみ、短時間だけではあるものの友好的な接触を行えたといいます。
船が近づくと彼らは攻撃しようとしましたが、ココナッツを海に流すと彼らは攻撃を止め、それを受け取り船を迎え入れました。

またこの時、研究班は攻撃を警戒し、船にライフルを積んでいましたが、彼らは金属片と間違えてそれを奪おうとした事、他の者が接触を試みた際に攻撃に使用した矢の中に金属製の鏃があった事等から、石器時代的な生活を営みながらも金属について知っており、最低限の金属の加工技術も持ち合わせているものと考えられます。
恐らくは漂着した難破船等から金属を取り出し、加工して矢を作っていたものと考えられますが詳細については不明です。
1947年以降、インドの連邦直轄領アンダマン・ニコバル諸島に属していることになっており、行政上は南アンダマン県(英語版)ポートブレア郡(テシル)に含まれます。
しかし、インド政府は島民とはいかなる条約も結んだことがなく、事実上島民の主権が認められている状態です。
現在、アンダマン・ニコバル諸島自治政府も、センチネル族は現代文明を必要とせず干渉も求めていないとして、深刻な自然災害や病気の発生がない限りは干渉しない方針と表明してる状態です。
インド政府は外国人の上陸も認めておらず、島に近付かないよう警告しています。
2018年の事件に関する報道によれば、インドの少数民族保護法によって、北センチネル島から半径5キロメートル以内への立ち入りは違法とされています。
また、不介入・上陸禁止の方針は、多くの病気に対する免疫を持たないと考えられるセンチネル族を危険から遠ざけるためでもあるようです。
アンダマン・ニコバル諸島自治政府は、センチネル族が現状を維持できるよう、遠方から島の監視・警備を行っています。
ちなみに、センチネル族についての最初の記録が残っているのは18世紀以降ですが、長く外部との接触を拒んで来た事から彼らの言葉を理解出来る者も島外にはおらず、それも相俟って満足にコミュニケーションも取れない事からDNA採取等も出来ない為、詳しい生活実態はおろかその起源すらも不明なのだそうです。
さて、次は、この何とも謎めいた島の歴史について、以下、時系列で見ていくことにしましょう。^^
北センチネル島の主な歴史
18世紀〜20世紀
18世紀にイギリス人がこの島を発見。
1880年に、当時の統治国であるイギリスが初めて島を探検、住人6名を捕えポートブレアに連行しているが、2名が病死したため、残りは島に戻された。
このことがセンチネル族の外部への攻撃性を高めたという指摘もある。
インド独立後
20世紀後半、インド政府はアンダマン諸島の先住民族との接触を進めた、その一環として、この島の住人であるセンチネル族との接触も試みられてきた。
しかしその試みの多くは、海岸から矢や槍を放たれて拒絶された。
唯一の「友好的な接触」
1991年、インド国立人類学研究所(英語版) (AnSI) の人類学者を含むチームが2度にわたり住人と接触。
このことが現時点で唯一の「友好的な接触」とされる。
なお、チームに参加していたAnSIの研究員マドゥマラ・チャトパディヤエによれば、1991年1月におこなわれた1度目の訪問では、弓を携えた住人たちに出迎えられたものの、チームがボートから彼らに向けて流したココナッツを回収したとされる。
弓矢を構えた若い男性の住人もいたが、ココナッツを受け取りに来るよう(アンダマン諸島の他の民族の言語で)呼びかけところ、隣にいた女性に促されて矢を降ろし、ココナッツを拾った。
何人かの男性はボートを触りに来、またチームは砂浜に上陸。
ただし住人たちが村にチームを案内することはなかったとされる。
その1か月後、より多くの人数のチームで島を訪問したところ、住人たちは武器を携えずに出迎えた。
チームが浮かべたココナッツが受け取られ、住人たちはやがて船に上がり込んでココナッツを袋ごと持って行った。
一方で彼らの装身具(葉でできたもの)を手に取ることは拒絶された。
その数か月後、3度目の訪問が実施されたが、悪天候のために砂浜に住人は出ておらず、接触は失敗した。
不干渉への方針転換
1991年の接触の後、インド当局の方針は転換。
島民は、多くの病気に対する免疫を持っていないと考えられ、同じアンダマン諸島に住む未接触部族であったジャラワ族は、外部との接触が増えた結果として伝染病の流行に苦しみ、社会が崩壊。
こうしたことを踏まえてセンチネル族に対しても積極的に接触を試みないことになり、政府の交流プログラムは1996年に中止された。
2004年のスマトラ島沖地震に際しては、安否確認のために訪れたヘリコプターに対して矢を放つ姿が確認された。
2006年には、カニの密漁をしていたインド人2人が、寝ている間にボートが流され、北センチネル島に漂着した結果、矢を射られ殺害された。
インド政府は2人の遺体を回収しようとヘリコプターを派遣したが、住民から矢と投げ槍で攻撃されたため、遺体は回収することができなかった。
殺人事件であるが、島が「現代社会の一部ではない」として、警察の捜査もされず放置されている。
2018年の宣教師殺害事件
2018年11月16日には、漁船を雇って島にカヌーで単身接近し、住民をキリスト教に改宗させるために上陸しようとした自称「冒険家」の宣教師(アメリカ合衆国ワシントン州在住で中国系アメリカ人の26歳男性)が住民に弓矢を射掛けられ、傷を負った所を首に縄をかけられて死亡。
この人物は観光査証でインドに入国し、アンダマン・ニコバル諸島への入域許可も得ていたというが、この島への接近・上陸は違法行為である。
漁船を雇って11月14日夜に島に接近、15日以降繰り返し接触を試みたが2度失敗、3度目に殺害された。
男性の遺体は砂浜に埋められている模様だが、回収は困難だという。
インド政府は漁師たちとエンジニア1名、計画に携わった宣教師1名の合計7名を「過失殺人」で告発した。
ちなみに、この宣教師(自称)は終末思想を奉じる福音派の教団に属しており、地上のすべての国々の民にキリストの教えを伝える、という宗教的信念に基づいての行動とみられる。(何やってんだ、コイツ(怒))
北センチネル島上陸の試みもこれが初めてではなく、2016年・2017年にも行っていた。
宣教師の行動は欧米メディアでも総じて批判的に報じられている。
インドの法律に違反した不法侵入であることが批判点の一つであるが、一方的なアプローチが先住民族の権利を侵害するもので(2007年の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」には、未接触部族が孤立して暮らす権利を支持している)、「見当違い」な「思想の押し付け」であることが大きな批判点である。
殺害された宣教師には、その年最も「驚くべき愚行」によって死亡した人物を(皮肉交じりに)顕彰するダーウィン賞が授与された。
現代文明との接触を拒絶する特異な島の存在は、インターネットの発達によって次第に知られるようになり、2018年の宣教師殺害事件はこれを加速させました。
温暖なアンダマン・ニコバル諸島では、ポートブレアを中心としてリゾート地化が進んでおり、旅行者(中には日本人も含まれるという)が、この「特異な」島に興味を示して接近しようと試みる動きもみられるようになりました。
近隣の漁民を高額な報酬で雇い、島が遠くに視認できる距離まで接近するといいます。
アンダマン・ニコバル自治州政府は、この島が「観光資源」にならないよう腐心しており、地元警察やインド沿岸警備隊は監視態勢を強化しているようです。
※参考文献:Wikipediaより

さてさて、いかがでしたでしょうか?
こういった未開の地を舞台とした設定は、よく映画やコミックなどで登場こそするものの、いざ本当に存在するとなると、これだけテクノロジーの発達した現代社会の中において、何だか不思議だし奇妙な気分になりますよね。^^;
先述した通り、この北センチネル島は、インド領域内に存在しはするものの、その国家に属してはいません。
国家とは何か? 法とは何か? もし、宣教師の行った行為が批判されるというのなら、かつてアメリカ人が先住民族に行った行為は侵略ではなかったのか等々、この島の存在は現代社会を生きる我々に様々な疑問を投げかけているような気がしてなりません。
皆さんは、どう感じましたか?^^
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