【後日談】堕天使のプレリュード

【後日談】堕天使のプレリュード

「噂をすれば」

カラン、客が入ってきた。

「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思っていたよ」

「相変わらずの閑古鳥」

途端、空気が変わる。

ロングの黒髪。背の高いモデル風の女がカウンター席に座る。一つ空けて祐介の隣に。

「貸し切りにしてるのさ」

「いつもの。ストレートで」

「はいよ」

「どうでもいいけど」

溜め息交じりだった。

「そろそろ引退、考えたら?」

「まだまだ続けるさ。偏屈でつむじ曲がりの客が押しかけてくるまでは」

「あっそ」

やがて、その目線が傍らの小男へと向かう。

「いたんだ?」

「いましたよ、悪かったですね」

「いるとわかってたから来たんだろ?」

横から茶化すように老バーテンダー。

どうやら聞こえてないようだ。それとも聞き流しているのか。どちらにしても香澄に答える素振りはない。カウンターに肘をつく。ちょっとだけ気まずい。

「例の報告書、さっきメールで送っておいた」

箱から煙草を取り出すついでだった。

「助かります。何か言ってました? ブラッドリー部長」

「別に。いつもと一緒」

「そうですか」

「で? 何の話? ふたりして」

「何も?」

マスターが返事する。

演技力は皆無だ。けど、白々しい演技をさせたら右に出る者はいない。

「怪しい」

「男同士の話さ。な? 志来クン」

「まぁ」

眼鏡を押し上げるとカップに口をつけた。

「へぇ」

「天使の話をしていたのさ」

飲んでいたミルクを吹きそうになった。

「ちょっと、マスター」

「天使?」

顔を傾けてマッチを擦るついでだった。小馬鹿にしたように香澄。鼻を鳴らした。

「いるわけない」

「そいつはどうかな」

「顔を合わせれば、お説教ばっかりの小姑ならいるけど」

「そりゃ、どういう意味です?」

「天使というのは比喩さ」

少し間を置いてだった。

「そう」

素っ気ない返事。味もなければ愛想もない。

「志来くんの初恋の話」

マスターは続けた。

「知りたくないか? どんな相手だったか」

「ちょっと黙ってて」

せっかくの雰囲気を壊さないで。香澄はお気に入りの曲に耳をそばだてている。曲名はわからない。奏者も。だが、緩やかで心地いい時間が流れていく。邪魔してはならないと、できるだけ音を立てないよう努める。

「興味なしか」

やがてジャズが鳴り止む。

マスターがキッチンに戻ろうとしたときだった。

「で、どんな相手だったの?」