【香澄の秘密部屋】変態 ~パンティーになった上司~

【香澄の秘密部屋】変態  ~パンティーになった上司~

ブラジャーのときのリベンジとばかりだった。

ある日、僕は夢から目ざめたとき、自分が香澄さんのパンティーに変ってしまっているのに気づいた。

僕はシルクの布きれになった状態で横たわっていた。

人間としての意識や記憶はあるものの手足は動かすことができない。

なにやら水の流れる音が聞こえる。

豪雨のように激しい。

しばらくした後、それがシャワーだと気づいた。

『やってられない』

バスルームから声がした。

『こんな炎天下にパトロールだなんて。パワハラよ』

『よかったですね。途中、シャワーつきのモーテルが見つかって』

今度はリビングの方からだった。

『いつになったら車のエアコン、直してくれるのよ。蒸し焼きにするつもり?』

『当分、無理じゃないですか? ほら、うちって予算とか下りづらいし』

『勘弁して』

『それより、どうです? シャワーの使い心地』

『悪くない。見た目の割にって感じだけど。一応、着替えを持ってきておいてよかった』

『いいなあ、わたしも浴びたい。汗でグショグショ』

『待ってて。すぐに済むから』

磨りガラス越しに肌色の全身が映り込む。

『ろくな番組、やってないや』

テレビのチャンネルをザッピングしているようだ。ドラマのセリフのような音声にニュース、音楽番組。それらが、まぐるしく変わっていく。そうこうするうちだった。食レポらしき番組に白羽の矢が立った。

香澄がシャワーから上がってくるまでの間、絵に描いたご馳走で空白の時間を埋めた。

それも飽きた頃だった。

『ねぇ、香澄先輩。知ってます?』

バスルームから返事はない。ひたすらお湯の流れる音が響く。磨りガラス越しの裸体が時々、艶めかしく動く。

『パンティーのおまじない』

『なに?』

あまりに唐突なワード。

そのせいで空耳と勘違いしたようだ。香澄は聞き返した。

『おまじないです。パンティーの』

聞き違いじゃなかった。

『新しいパンティーを履く前に好きな人の名前を唱えるんです。そうすれば、その恋が叶うんですって』

『パンティーって? あの?』

キュッ、蛇口が止められた。

『そう、そのパンティーです。ランジェリーの方の』

『何なの、それ』

『さぁ』

『馬鹿馬鹿しい』

『わたしが言ったんじゃありませんよぉ。今、SNSでバズってるんです。トックティックとか動画とかで。知りません?』

『知らない』

『本当に成就したって人が続出してるんですって』

『へぇ』

『どうです? 先輩も』

『生憎、間に合ってる』

『やってみて損はないと思いますけど』

『大きなお世話よ』

『あぁ、もう最悪!!』

半ば絶叫にも近かった。

『リン?』

暴漢にでも襲われたみたいな声だった。そのため香澄も思わず反応する。

『ビールがないんです。冷蔵庫の中。お茶とジュースはあるのに。もう、サービス悪いなぁ』

なんだ。一瞬、握りかけた銃から手を離す。 

『呪いよ、あの頭でっかちの』

『志来主任の?』

『そうに決まってる』

『わたし買ってきますね!』

バタバタと足音がした。

『ねぇ、リン!』

ついでにタバコもお願い。そう言おうと思ったが既に返事はない。もうリンの気配は消えていた。

『あいつ』

嵐みたいだった。というよりロケットか。

その目線の先がパープル色のパンティーへと注がれるのに時間はかからなかった。

『恋が叶う、か』

リビングに誰も居ないのを改めて確認する。そっと顔を突き出して。恐る恐る。

今のところリンに戻る気配はない。

『なにがおまじないよ』

首根っこを摘まむと僕を持ち上げた。母猫が子猫にするみたいに。

黄金比のように整った顔立ち。

切れ長の。大きく澄んだ瞳がじっと見つめる。こうも間近で見つめられると流石に照れる。

『馬鹿みたい』

溜め息交じりだった。すぐ目の前にある顔が呟く。

一度は引っ込めようとした。

子供じゃあるまいし。どうかしてる。迷信を信じるなんて。

が、なにかが思い留まらせた。

『いいわ』

少し緊張した面持ちで香澄。ぽつりと呟いた。

すっと深呼吸。

長い睫毛も伏せられた。

ふわりと形のいい唇が開く。

『バ……』

二言、三言。何かを発したような気がした。

囁くように。

どうやら誰かの名前を口にしたようだった。

でも、それを最後まで僕が耳にすることはなかった。いや、できなかったといった方が正しい。そうしたくても。

童貞には少ばかり刺激が強すぎた。

そのせいで意識が朦朧としてきたのだ。

恥ずかしさと興奮、それと熱気とスリルの合わせ技。頭がクラクラしてきて意識を保つことができない。

なにやら胸の辺りも苦しい。

誰かに心臓を鷲づかみされたみたいだ。

ギュッ、頬をつねられるようにして引っ張られた。

横に向かって思いっ切り。視覚と聴覚は失われつつあるというのに痛覚だけは一丁前にあった。

片足を鼻の穴に突っ込まれた。

そして、もう片方も。やがてエレベーターでも上るみたいにして上昇。天に向かってスルスルと引き上げられていく。

聖域へと近づいていくのに時間はかからなかった。

神秘の場所へと。

その中心部に向かって僕の顔面が近づけられていく。

ゆっくり。でも着実に。

見たい衝動とは裏腹だった。意識そのものが朦朧としているため、その様子について窺い知ることができない。

残念ながら。

そこには春の草原にも似た。爽やかで清々しくて。繊細で。ただ漠然とした。うっすらとした光の輪郭が広がっているばかりだ。

しかし途方もなく。どうしようもなく神々しい光景に思えた。

自分ごときが触れてはならない。そんな気がした。

と、僕の唇の先端がキス。

何かに優しく触れた。

それはボタンのようだった。

今にして思えば現実と虚構の狭間。それを切り替えるためのスイッチみたいなものだったのかもしれない。

瞬間、目の前が謎の閃光に包まれる。

やがて空間に向かって吸い込まれていく。

もがこうとするも身体がいうことをきかない。

奇妙な感覚だった。上に向かって吸い込まれていっているはずなのに下に向かって滑り落ちていっているみたいな。

ジェットコースターで急降下するときの感覚。

あの感覚に似ていた。

まるでトンネルだった。とても深い。深い深い空間の奥だ。

それはどこまでも続いていく。

まるで永遠のように――

気がつくと僕は芝生に寝転んでいた。

いつの間に寝入ってしまっていたらしい。辺りには家族連れにカップル、新聞を読む中年男、同じく昼寝するビジネスマン。

『疲れてたのかな』

そりゃパンツになる夢も見る。

『流石に徹夜続きだったし』

自分で自分に言い訳した。勤務時間中、居眠りしてしまったことに対し、なんとか正当化しようと都合のいい言葉を並べ立てた。

ここ最近の激務が災いした。それは本当だ。嘘でもなんでもない。

仕事の合間を縫って公園で休憩をと思い、軽い食事をとったのが運の尽き。

睡魔へと呑み込まれた。

『結局、誰だったんだろう?』

“バ”の正体が未だ頭の中で引っかかっていた。ささくれみたいに。

自分の名前。つまり志来なら頭文字は“シ”であるべきはずだし、祐介なら“ユ”でなくてはならない。

少なくとも相手は僕じゃない?

そうかといって他に思い当たる人物もいない。

世界を飛び回っている彼女のことである。もしかすると、どこかで気になる相手が出来たのかもしれない。誰か自分の知らない。

『まさか西園寺?』

いやいや、それはない。

全然、違う。“サ”と“バ”では天と地の差。似ても似つかない。地球から月。いや、アンドロメダ星雲くらい離れてる。

考えれば考えるほどだった。どつぼにハマった。迷路の中に迷い込んで抜け出せなくなっていった。

同時に何かやるせない。淋しいし物悲しい気分に苛まれた。

心のどこかで期待していた部分があったのかもしれない。

もっとも全部、虚構の産物。

夢の中の話であるわけだが。

『しまった、こんな時間か』

いけない。大事な会合に遅刻してしまう。腰を浮かしかけた。

『あれ』

右手に携帯を握り締めていた。

確か懐にしまってあったはずなのに。首を傾げながらもチェックした。眠い目をこすりつつ。もしかすると急な用件が入っているかもしれない。

『香澄さん?』

一件のメッセージが届いていた。

『バカ上司』

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