【香澄の秘密部屋】紅葉の中で
- 2025.08.01
- 香澄の秘密部屋

『何してるの? 置いてくわよ』
まるで大人と子供だった。
僕と彼女とでは脚の長さは比較にならない。
つまり、そこには雲泥の差がある。
自ずと歩幅にも差が出るというものだった。
僕がもたもたしてる間に彼女はどんどん先を歩いていってしまう。先へ先へと。
そのせいで追いつくのも一苦労だ。
『ねぇ、見て。志来くん。綺麗な紅葉』
『ホント、綺麗ですね』
この頃には息切れしていた。
『今日がピークなんだって。正解だったわね、思い切って足を運んで』
職場放棄に名誉毀損、器物損壊に傷害。数々の迷惑行為に違反行為。
停職処分は必至。
よくても謹慎は免れない。
この可愛らしい見た目、この笑顔ひとつで何でも許されると思ったら大間違いだ。
世の中そんなに甘くない。
それで済むなら警察などいらない。
今日こそビシッと言ってやるのだ、ビシッと。上司らしく。確固たる意思を持って。
いよいよ年貢の納め時。
そうとも、泣いて謝ったって許したりしない。
『あのですね、香澄さん』
『何?』
『始末書……』
『ねぇ、あれ見て!』
『え、どこです?』
『あの男の子、ベンチに座ってる。志来クンに似てる』
『そうですか? そんなに僕に似てます?』
『そっくりよ』
『髪型のせいでは?』
いかん、いかん。ペースに流されてしまっては。
さっき覚悟を決めたばかりじゃないか。
しっかりしろ祐介。今日こそビシッと言ってやるのだ。
『……あの、始末書』
『この公園の紅葉、ずっと一緒に見てみたかったんだ』
澄んだ切れ長の瞳が見つめる。
『志来くんと』
思わず顔がニヤけた。
こんな風に言われて平静を保てる男など何処にいよう。
流石は腐っても殺し屋。
意図してやっているのだとしたら実に計算高い。
あざといというか。
男心が何たるか。その扱い方について心得ている。熟知している。
男嫌いの癖して。
いや、待て。果たして本当に計算なのだろうか?
もしかして本心ということは?
考えすぎだろうか?
ないない。本心であるはずなどない。万に一つも。
あの香澄さんに限って。
血も涙もない。
人を人とも思わない所業の数々。
考えてもみれば、すぐわかることじゃないか。
危なかった。
危うく騙されるところだった。
きっと何かの策略であるに違いない。
童貞である上司をからかい、そして罠にはめようとせん。
陥れ、弱みを握り。裏から操り利用しようというのだ。
さながらチェスの駒のように。
自分の思うがまま。手足の如く。
そうに決まっている。
『本気よ』
無数の枯れ葉が風に舞い上げられた。
『え?』
『別に』
素っ気なく背中を向けた。
長い髪を靡かせ、腰の後ろに手を回し。
そして彼女は歩き始める。僕がもたもたしてる間に彼女はどんどん先を歩いていってしまう。先へ先へと。
女心と秋の空。
どれが本音でどれが本心なのやら。
やっぱり解りそうにない。
しばらく抜け出せそうにない。
この紅葉の迷宮のように――
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