【香澄の秘密部屋】デキたみたい。

【香澄の秘密部屋】デキたみたい。

「ねぇ、香澄先輩?」

「なに?」

「ちょっと聞いてもらえます?」

「嫌よ」

ご挨拶だった。まだ何も話していないのに。

もっとも、いつもの調子。相変わらずといえば相変わらずなのだが。

つまりは平常運転。

「わたし、デキたみたいなんです」

「へぇ」

「って、先輩、聞いてます?」

「聞いてない」

「じゃあ、勝手にしゃべりますね」

両手でエメラルドグリーンの液体の入ったカクテルグラスを遊ばせた。

「なんかデキちゃったみたいなんです」

「デキたって何が?」

今頃になってだった。

「決まってるじゃありませんか。デキたといったらアレですよ」

「アレじゃ、わからない」

「先輩とわたしの仲なのに?」

「どんな仲よ」

「わたしと志来主任のです」

取り出しかけていた煙草の一本が指の隙間から溢れる。

コロコロとカウンターの上を転がっていく。追おうとするも床に落ちてしまったため諦めた。

「ねぇ、リン」

「はい?」

「デキたって」

「あ、噂をすれば何とやらです」

スマホを手に取るとリン。

「今、主任、お店に向かってるって」

嬉しそうに、お腹の辺りを擦った。まるで愛でるように。

「リン」

「いやぁ、まいった、まいった!」

拡声器のように大きな声。赤キャップにパイロットジャンパー。そばかす顔のハッカー。サラが入ってきた。

「デキちまったぜ」

「えっ」

「うっかりデキちまった」

「あら、サラさんも? わたくしもデキてしまいましたわ」

続いてノエルも加わる。

「なんだよ、おまえもか?」

「やだ、皆さん、一緒にデキてしまわれましたの?」

「らしい。つうこたぁ予定日も皆、一緒ってか」

どこもかしこもだった。

まともな女が一人としていない。香澄を除いて。皆、デキただの予定日だの口にしている。それも平然として。

「おや、皆さん、どうしたんです? 揃いもそろって」

いよいよとばかりだった。

真打ちの登場である。実に清々しい顔をして志来祐介。満面の笑みで現れた。この幼い顔も今は悪魔みたいに見える。

「どうもこうもねぇや。もうデキたらしい」

「え、もうですか?」

「な? 随分、早ぇよな。予定よか二週間も早かった」

「きっと玉のように美しい子でしょう。苦労して作った甲斐がありました」

「あたしゃ、気持ちよかったがな」

「今から楽しみですわね」

「志来クン、ちょっと」

「何です? 香澄さん。血相を変えて」

「いいから」

強引に腕を捻り上げた。引きずるようにして奥まで連れ出していく。

「一体、どういうつもり?」

「どうとは?」

「知らなかった。そこまで女にだらしがなかったなんて」

「はい?」

「生真面目さだけが取り柄だと思ってたのに」

「さっきから何を怒ってるんです?」

「別に怒ってない。ただ呆れてるだけ」

「そうですか」

何処か煮え切らない様子で頬をかいた。

「香澄さんもどうです? よかったら。今度、僕と一緒に作りませんか?」

「馬鹿にしないで」

「馬鹿になんかしてません」

「本気で言ってるの?」

「本気ですが?」

「信じられない」

話にならない。最低。クズ男。女の敵。

この世に存在するであろう悪口に罵詈雑言。思いつく限りの言葉で罵った。

「順序ってものがある」

「順序?」

「そういう大事なことは。お互い、きちんとルールを決めて。話し合って。それから……」

「ルール、ですか?」

「そう、ルールよ」

香澄は髪を払いのけた。

「いつも自分で言ってるじゃない。散々、人には守れって」

「理屈ではありません。作るのにルールなんて必要ありません。自由に。好きなように作ればいいんです。自分の持つ本能に従って」

「信じられない」

何故か顔を真っ赤にしている。耳たぶの辺りまで桜色に染まり上がっている。

「もういい。話もしたくない」

「皆でガラス工房に行ったんですよ」

「ガラス工房?」

「えぇ、チェコの片田舎にある。小さなガラス工房です。そこで各々、作品を作ったんです。せっかくだし記念にって。僕は眼鏡入れを。リンさんはお菓子入れ。ノエルさんはティーカップ」

「で、あたしは灰皿だ」

ピンボールを楽しむついでにサラ。

「最終的には職人さんが手を加えてくださるって。それで完成予定日が今日だと。直接、受け取りに行こうかとも思ったのですが結局、郵送してもらうことになりました」

「……そう」

「一体、何と勘違いしてたんです?」

皆で顔を見合わせる。サラもノエルもキョトンとしている。どういうわけかリンだけはニヤニヤと笑みを浮かべている。

「別に」

馬鹿馬鹿しい。

そそくさと香澄。カウンター席へと戻っていった。

「何でもない」

カラン、グラスの中の氷が音を立てた。