不老不死!? タイムトラベラー!? サンジェルマン伯爵のヤバすぎる伝説とは!? 真相と考察!

不老不死!? タイムトラベラー!? サンジェルマン伯爵のヤバすぎる伝説とは!? 真相と考察!

どうも、さかいです!

皆さんは不老不死には興味はありますか?

実は、その不老不死を既に実現していたと噂される人物がいたのをご存知でしょうか?

彼の名はサンジェルマン伯爵。

この不老不死を実現したと噂される人物の正体とは?

今回はそれについて触れていきたいと思います。

概要

サン・ジェルマン伯爵

サンジェルマン伯爵は、1691年あるいは1707年? – 1784年2月27日)は、18世紀のヨーロッパを中心に活動したと伝えられる謎多き人物です。

突如、現れて頻繁に宮廷へ出入り、フランス国王ルイ15世に取り入り、ボンパドゥール夫人の絶大な信頼を得て、魔術師としての地位を確固たるものとしました。

伯爵がいつどこで生まれたかは判明していません。

彼に関する多くの情報に正確な記述は存在せず、今なおベールに包まれています。

しかし、伯爵は化学に長けており、ピアノや絵画などの芸術方面にも通じ、あらゆる言語をマスターしていたといいます。

確認出来るだけでもギリシャ語、ラテン語、サンスクリット語、アラビア語、中国語、ドイツ語、イタリア語、英語、ポルトガル語、スペイン語などなど。

しかも絵画の腕もプロも舌を巻くほどの腕前でした。

ヨーロッパの歴史にも詳しい博識ぶり。

どこか人を惹きつけるカリスマも備わっていたといいます。

出自

一説にはスペイン王妃マリー=アンヌ・ド・ヌブールと貴族メルガル伯爵との私生児と言われています。

その人生を通じて享受していた経済的な安泰や高度の教育・教養は、この出自によるものが大きいと考えられています。

教養について言えば、化学に限らず様々な分野の知識が豊富、かつ一流の音楽家でもあり、また優れた画才をも示したことが同時代人によって評価されています。

しかし彼の前半生には不明な点が極めて多く、その正体が明らかとなるのは彼がフランス社交界で活躍する1758年以降、彼が67歳になってからです。

しかしこの年齢が正しいのかどうかさえも不明とされており、社交界で活躍していた時期の彼は40代以前にしか見えなかったといいます。

不老不死の伝説

伯爵の逸話の中でも代表的なものが錬金術・不老不死です。

彼はその身一つで悠久の時を生き、死を超越した存在と自称しています。

しかし、これはただの法螺話としか思われていませんでした。

実際、当時、陰ではイカサマ師などと陰口をたたかれていたようです。

しかし、この突飛な不老不死説は、彼の死後に微かな真実味を帯びた話にも変わってきます。

伯爵を知る者達の“不老”の証言を一部抜粋すると、 作曲家ジャン=フィリップ・ラモーが

「数十年経っても容姿が初めて会った1710年と変わらなかった」

と証言。

同じ年に会ったフランスのジェルジ伯爵夫人も、約40年後に容姿の変わっていないサンジェルマンと会ったされています。

証言

不老不死を裏付ける証言として、伯爵の従者のものも突飛でした。

集会の席に出るたび決まって

「自分は四千年生きている」

と、あまりにもぶっ飛んだ事を言うものだから、

「おまえの主人は嘘つきだ」

と、ある男が執事に言い放ちます。

すると、その執事は、

「わたしが伯爵に仕えるようになって未だ100年しか経っていません。わたしがこの家に参りました時、伯爵は自分は3000年生きている、と仰ったはずです。」

と返答。

また、伯爵がローマのシーザーの話をまるでその目で見たように話すものだから、ニコラ・シャンフォール氏は気になって

「お前の主人は本当に2000歳なのか」

と伯爵家の召使いに尋ねました。

すると召使いはこう答えました。

「お許しくださいませ、みなさま。私は伯爵に仕えるようになって未だ300年にしかならないのです。」

錬金術

サンジェルマンは錬金術師であったとも云われています。

不老不死であり、ダイヤの瑕を治す術も会得。

なかでもルイ15世のダイヤの瑕を取り除いた話は有名です。

伯爵はクリスチャン・ローゼンクロイツを開祖とする有名な秘密結社「薔薇十字団(ローゼンクロイツ)」の一員と見られています。

※ちなみに『薔薇十字団』とは中世ヨーロッパより存在しており、死や病からの救済を教義とし、その術として「錬金術」に精通し、中世ヨーロッパの思想統一を掲げて世界連邦を目指した革新的な秘密結社です。

最期

1766年、プロイセンの王フリードリヒ2世の庇護を受けるも、翌年ここを発ってバルト海に面したゴットルプへと至り、最後はヘッセンの領主の下に身を寄せます。

そして1784年2月27日にこの地で息を引き取ります。

親しい関係を保っていた当の領主によれば、享年93歳であったと伝えられています。

しかし、その死後もサンジェルマン伯爵の存在を確認した者が絶えませんでした。

逸話

サン・ジェルマンには様々な噂が付きまといましたが、生前に敢えてそれを否定しなかったこともあり、類稀なる特異な人物として歴史に名を残すこととなります。

以下はそうした伝承の代表的なものです。

・沢山の宝石を散りばめた豪華な衣装に身を包み、普段は丸薬とパンと麦しか口にしなかった。

・ギリシア語、ラテン語、サンスクリット語、アラビア語、中国語に加えて仏・独・英・伊・葡・西の数か国語に堪能だった。

・身なりに気を使い、クラヴサンとヴァイオリンの名手でもあり作曲も熟した。

・更に化学と錬金術にも精通しており、ついには不老不死に関する著作を物した。

・かつてカリオストロが所有していたとされる、18世紀の実在の秘伝書『La Très Sante Trinosophie』の著者だった。(ただし、これについては確たる証拠は無く、しばしば反論の対象となっている)

・貴石・宝石の類いにも大変造詣が深く、多くを所有。ダイヤモンドの傷を消す秘法を知っていた。

・前世の記憶とそれに関連する知識があった。

・大変な長寿をもたらす秘薬を持ち、結果、2000年とも4000年とも言われる驚異的な生命を有していたとされ、カナの婚礼やバビロンの宮廷を巡る陰謀等と云った古代の出来事を、まるでその場で直接見て来たかの様に、臨場感たっぷりに語った。

哲学者ヴォルテールは1760年4月15日のフリードリヒ2世に宛てた書簡で、このサン・ジェルマンについて

「決して死ぬことがなく、すべてを知っている人物」

であると書き、フリードリヒ2世も彼を

「死ぬことのできない人間」

と証言。

ニコラ・シャンフォール (Nicolas Chamfort) によれば、サン・ジェルマンの使用人に

「あなたの主人は本当に2000歳なのですか」

と問うたところ、彼は

「それはお教えすることができません。わたしはたった300年しかお仕えしていないのですから」

と答えたと言います。

加えて、なんと日中戦争での目撃情報もあることから、タイムトラベラーであるという説も。

ポルトガル系ユダヤ人とも、ルーマニアのトランシルヴァニア地方にあるラーコーツィー王家の王家に所縁のある人物(ただし、当時ルーマニアは国家としてはまだ存在していなかった)とも言われ、自分の年齢を2000歳とも4000歳であるとも称し、ソロモン王やシバの女王らと面識があったとも語っていたとされます。

かつて騎士として加わっていた十字軍では、パレスチナにてイングランド王リチャード1世とも話したとも言います。

また、

「自分は不老不死なので、霊薬を口にする他は食事は必要としない」

と言って、実際に人前では全く食事をしなかったのだとか。

作曲家のジャン=フィリップ・ラモーは

「自分は人生で何度かサン・ジェルマンに会ったことがあるが、数十年たっても、どれも同じ年齢のサン・ジェルマンだった。彼の存在は神秘そのものだとしかいいようがない」

と記しています。

またセルジ伯爵夫人は同年、以前の大使夫人時代にヴェニスで彼と会ったが、約40年後に再会した時には全く年を取った様に見えなかったと語っています。

特筆すべきは、こうした証言が非常に多いことです。

※サン・ジェルマンは催眠術にも長けており、術で自らの姿を眩ますことが出来たと言われているが、このことが、こうした様々な噂の発端となっている可能性もあるのだとか。(当時、催眠術は夢遊病や動物磁気による催眠現象と結び付けて考えられていた)

また、1760年に廷臣ショワズールの謀略によってフランスを離れることを余儀なくされ、その後、プロイセン、ロシア、イタリア、イギリス、オーストリア等各地を点々とし、最終的に、当時錬金術に関心を持っていたシュレースヴィヒ=ホルシュタインの領主の下に身を寄せるも、この直後に領主の下女2人の腕の中で亡くなり、大革命の最中に亡霊としてパリに現れたとも言われます。

生前のスパイ容疑については様々な説があるものの、仮にその事実があったとしても本来の目的は謎とされています。

ジャコモ・カサノヴァはオランダのハーグでサン・ジェルマンに面会したといいます。

そのときサン・ジェルマンはアルメニア風の装束に身を包んでいたのだとか。

これらのことからサン・ジェルマンが「ヨーロッパ史上最大の謎の人物」とされることがあります。

その後、カルボナリ党に入党したナポレオン3世はサン・ジェルマンに関心を抱き、彼に関係する書類等をテュイルリー宮殿に集めるように警察に命じます。

この時の資料は1871年に同宮殿を襲った火災によって消失し、サン・ジェルマンの足跡のほとんどがこの時に失われたといわれています。

考察

火の無いところに噂は立たない。

とは言うものの、やはり現実的に考えて不老不死の人間など存在するはずもなく。

可能性としては以下が挙げられるのではないでしょうか。

・政治的、宗教的な事情から“サン・ジェルマン”伝説を利用、捏造した。

・何かしらの組織の意思が働いていた。

・そもそも、ありふれた背格好で、よく他の人物(親兄弟、子孫含め)と見間違えられた。

・何らかの意図があって本人が噂を流した。

・証言者全員がグルで口裏を合わせていた。

・小さな逸話に何らかの尾ひれがついて広まった。

・本物のタイムトラベラーだった。あるいは宇宙人による何らかの力が介在していた。

さてさて、いかがだったでしょうか?

不老不死の命を得て、常に歴史の陰で暗躍してきた男。

なんとも夢があるしロマンある話ですよね。

小説なんかには、もってこいのネタです。(笑)

不老不死といえば、古くは秦の始皇帝やアレクサンダー大王、ナチスのヒトラーなどが追い求めてきたことでも有名です。

漫画なんかでは某戦闘力53万の悪者が特に広く知られているのではないでしょうか。(笑)

得てして権力者とは永遠の命を欲するものなのかも知れません。

ある意味、人類の永遠のテーマといっていいでしょう。

そのことを証明するように近年、そういった研究がどんどん進んでいるのも事実。

もしかすると数十年後には本当に不老不死が実現するかも知れません。

(ま、不老不死になったらなったで、それなりに別な苦労を背負い込むことになるようですが。(笑)それは、また別の機会にでもお話することにします。^^;)

あなたは、どう思いましたか?^^

参考文献:Wikipedia、ニコニコ大百科