【閲覧注意】そろそろ反撃に転じません? エンタメ界における、ポリコレ理論について物申す

【閲覧注意】そろそろ反撃に転じません? エンタメ界における、ポリコレ理論について物申す

どうも、さかいです!

今回のテーマについては、少しばかり過激な。

人によっては気分を害する内容となっております。

そのため、その可能性が少しでもある方は、ブラウザバックすることを強く推奨いたします。

最初に断っておきますが、さかいは差別主義者でも反社会主義者でもありません。

ただの偏屈屋のへそ曲がりです。(笑)

そのうえで今回はポリコレについて考えを述べさせていただきたいと思います。

※本件については大変、デリケートな問題であるため、これについては様々な考えや思想、ご意見があるかと思います。なので、あくまで一個人の考えとして受け取っていただければ幸いです。

ポリティカル・コレクトネスとは?

ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された言語、政策、対策を表す言葉であり、人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない中立的な表現や用語を用いることを指す。

引用:Wikipedia

ポリコレを支持しない理由

もしも、大人気映画『バッドボーイズ』や『ビバリーヒルズコップ』の主人公が白人だったら?

邦画に登場する忍者や侍たちが全員、外国人だらけだったら?

悪者にさらわれたヒロインが不細工だったら?

なんだか、これって興醒めしてしまいませんか?

極論にはなってしまいますが、イメージが違うというか少し複雑だし残念な気持ちになってしまいますよね。

(特に昔から伝統と格式あるシリーズのキャスティングなら尚更)

イメージ云々のまえに政治的プロパガンダを無理矢理ねじ込まれた印象さえ拭えません。

下手をすると終始、感情移入できず物語が終わってしまうかも知れません。

最近、急にバイセクシャルに目覚めてしまったスーパーマンさん

ポリコレに配慮したRPGゲーム『ホライゾン』こと、通称『ブサイゾン』

ポリコレを配慮した海外ヒロインと、無視した日本のヒロインの比較

これがポリコレです。

本来、あるべきイメージや文化をガン無視して、その垣根を越えてくる。

浸食してくる。

無理矢理、価値観を押しつけてくる。

黒人には黒人の良さがあるし、白人にも白人の良さがある。

アジア人も、また然り。

個人的には不細工なヒロインだけは許せない。(笑)

なにごとも適材適所。

超えてはならない一線がある。

ここで言いたいのは、その長所やイメージ、領域を侵してまで無理矢理、肩を並べるべきではない。

味噌もク○も一緒にする必要はない。(失礼w)

それらを“差別”という魔法の言葉に置き換え、強引に押し通そうとするのは筋違いだしお門違いというもの。

どんなに価値観を押しつけられようと、どう他人から言われようと、受け入れられないものは絶対に受け入れられないし、気持ち悪いものは気持ち悪い。

無理なもんは無理!

と、まあ、そういう理屈です。

(こればかりは感性の問題なのでどうしようもない。努力をしても変えられるものではないし、突然、明日から変えろと言われても無理なことは言及するまでもないでしょう)

確かに近年の動きは、一部のポリコレ支持者にとっては都合がいいかも知れません。

さぞや思い通りになって気持ちよくなっていることかと思います。

しかし、そうではない層。

つまりポリコレを受け入れられない層にとっては逆に精神的苦痛、差別になってる。

それについては、このままでいいのでしょうか?

そんな馬鹿な話はありません。

過剰になりすぎた差別は、また新たな差別を生み出す。

これは紛れもない現実です。

ポリコレに対し異を唱える、反撃する

まずは声を上げることが重要でしょう。

過剰なポリコレ表現に対し、我々、消費者が一斉に NO! を突きつけるのです。

一見、地味にも思える方法かと思いますが、これが一番、効果があります。

声を上げると言っても、なにも真っ向から口論したり反論したりしろと言ってるわけではありません。

あくまで私見ですが、見たところ世間的に影響力のあるメディアほど一番、この問題に対し敏感に向き合い捉えているように見受けられます。

果たして影響力のあるメディアとは?

支持層が多い。

要するに顧客の多い大手企業ないし団体ということですかね。

彼らメディアは声の大きい側の意見のみを尊重して、そうでない側の声は無視する。

一部の消費者を侮ってるし軽んじてる。

これを殿様商売と言わずして何と呼ぶのでしょうか。

多少のポリコレ表現を入れ込んでみたところで、どうせ売れる商品は売れるだろうと。

彼らは高をくくってるのですね。

あぐらをかいてる。

事実、多少のポリコレ表現を盛り込んだり含んでみたところで売れる商品は売れるし、人気のある媒体は人気が落ちることはない。

なんだかんだ売り上げに影響はない。

これが悲しいかな現実です。

そのことがポリコレ表現を現在進行形で助長させている一つの要因と言えるのではないでしょうか。

知らず知らずのうちに大衆は受け入れてしまっている。

しかし、実際、蓋を開けてみれば、その実情は単に我慢をしてるだけで過度なポリコレ表現に辟易としてる人が大半です。

では、どうすれば企業やメディアに対しNOを突きつけられるのか?

異を唱えられるのか?

簡単です。(笑)

そういった表現の目立つ商品や製品、表現には

観ない

買わない

興味を示さない

の三原則を徹底する。

『あ、ま~たポリコレね。解散、解散』

みたいな感覚。

(個人的には既に無意識のうちにやってました。w)

文句を言いながらも、なんだかんだ受け入れてしまっている現実。

多少のポリコレ表現はあるけど、人気タイトルだから、ま、いっかーみたいな。

このどっちつかずが一番、よくない。

この曖昧な我々、消費者の態度こそが今日のこの状況を作り出してる(助長している)最たる原因と言っても過言ではないでしょう。

さてさて、いかがだったでしょうか?

もしかすると、これまで述べてきた考えは古い考えなのかも知れません。

新しい時代から遠ざかっているのかも知れません。

しかし、このまま黙って放置しておいていい問題でしょうか?

果ては我々にとって大切な文化や思想、言論の自由までをも、この怪物は食らい尽くすかも知れません。

差別や人権、平等という免罪符の名の下に。

気づいた頃には後戻りできない状況になってるなんてことも。

事実、世の中はどんどん息苦しくなってきています。

あなたは、どう感じましたか?