安倍元首相の暗殺について思うこと

安倍元首相の暗殺について思うこと

どうも、さかいです。

先日、驚くべき報道が飛び込んでまいりました。

中川昭一さんに続いて、またひとり偉大な国士が亡くなられてしまいました。

その損失の大きさに打ちひしがれている方も多いのではないでしょうか?

筆者も同じです。

そのことについて記事にしようかどうかも迷ったのですが、どうしても個人的に訴えたいこと。

思うところがあったので思い切って綴ることにしました。

※あくまで個人的な見解です。また、政治的な内容も含まれているため、不快な方はブラウザバックを強く推奨します。

SPの対応について

今回の対応については流石に警察の杜撰。

落ち度だと言わざるをえない。

(意図的に見逃したのでもなければ)

だって、彼らはその役割を、まったく果たしていなかったわけですから。

警護対象の身を守れなくて何のためのSPでしょうか。

立ってるだけなら案山子にだって出来る。

しかしながら状況を鑑みるに、今回の事態を避けるのは不可能だったとは言わないまでも、少し厳しかったのではないかと個人的には分析します。

それについての理由は三つあります。

理由その1 銃社会じゃない日本

まず一発目の銃声がしたとき、氏はまだ演説を続けていました。

これはどういうことなのか?

考えられるのは、

被弾したことに本人が気がついていなかった。

或いは、

何かしらの事情で弾が外れた。不発に終わった。

の二通りが考えられます。

いずれにしても、この時点では致命傷になりえなかった可能性が高い。

そして、致命的になった二発目。

その銃声が轟くまでの間、少しのタイムラグがありました。

問題は、この間にSPは何かしら行動を起こせなかったのか?

という点。

なんでも聞くところによると、現在の日本において銃犯罪は年間でも一桁代なのだそう。

この数字は世界から見ても極めて希。

銃なんかで狙われるわけがない。

日本で暗殺? ないない。

というのが、これまで我々にとっての通説でした。

それは恐らく警察も一緒で、今回のような状況を想定していなく(特に銃に対して)それについての訓練やマニュアル、教育が完全には行き届いていなかったことが想像できます。

SPや警官たちも、その瞬間、何が起きたのかわからなかったのではないでしょうか。

それについての我々、日本人の危機意識の薄さは映像の群衆たちの様子からも垣間見られます。

映像を見る限り、銃声が鳴ったにも関わらず、誰ひとり逃げることはおろか身を伏せることさえしませんでした。

仮に、あれがもっと広範囲の攻撃だったら?

あの時点で全員、即死。

命を失っているところです。

しかし、それも無理はないと言えます。

普段、我々日本人にとって銃を目にすることなんて皆無。

まず、ありません。

ドラマか映画、ゲームなんかで得た知識がせいぜいといったところ。

よって本物の銃声には耳が慣れていないため、いざというとき、どうしても対応が遅れる。

逃げることが恥ずかしいとさえ感じる。

単に何かが割れたか爆発したかくらいにしか身体が認識できない。

結果、身を守ることよりも優先して状況分析に走る。

これは善くも悪くも銃社会ではない「平和な日本」による弊害です。

理由その2 銃のシルエット

そして、二つ目の理由。

それは、ぱっと見、銃が銃に見えなかったという点。

既に報道にもあるように凶器は手製による銃でした。

しかも、その造形は我々のイメージする銃とは似て非なるもの。(二本の短筒をテープで固定したような形状をしてました)

サイズが大きめだったということもあって、犯人がバックから取り出すのにも、ある程度の時間を要したことでしょう。

と、それが普通の銃のシルエットであったのなら、この時点で気づきようもあったはず。

でも実際は違っていました。

銃が本来の形状をしていなかった、一見して銃には見えなかったという点も判断に遅れが生じたひとつの要因だったのではないかと想像します。

理由その3 既に首相の職を辞していた

そして三つ目ですが、それは既に氏は要職を辞していたという点。

これは一番、大きい。

元首相とはいえ、今や氏は一介の国会議員に過ぎなかった。

加えて辞してから何年も経過していました。

もうVIPではないことから、どうしても警護が手薄になっていたことは否めません。

既に首相でも何でもないのだから狙われるわけがない。

というのが彼ら警察にとっての共通認識だったのではないでしょうか。

我々だって同じです。

まさか、こんな事態が起こるなんて夢にも思ってなかった。

要するに油断があった。脇が甘かった。

加えて、人手だって際限なく捻出することはできません。

ましてや、この時期です。

その盲点を付け込まれた。

しかし、だからといって彼らとてプロ。

せめて死角や背後には気を配って欲しかった。

そのことばかりが悔やまれます。

同じ不審者がいたとしても前方と後方とでは雲泥の差。

対応の早さも違っていたことでしょう。

非常に残念なことですが、今回のテロで日本の安全神話は崩れ去ったといってもいい。

今後、我が国の政治や司法、警察はその考えを正し、大いに見直していく必要がある。

でもなければ、また更に同じ事態を招くことになります。確実に。

今、まさに日本はその岐路に立たされているのではないでしょうか。

凶器について

7/10現在、わかっている情報は

・手製だった

・二連式だった

・凄まじい銃声と煙

・一発目は外した?

既に供述にもあるように

「ネットで作り方を調べて部品は購入した」

とのことなので凶器が改造銃であったのは確定している情報です。

現時点では憶測の域を出ませんが、直後、捉えられた出血の様子から、所々に細かいダメージを受けていたことが見て取れました。

こういった弾が散らばる機構はショットガンの特徴です。

反面、ショットガンは精密な射撃、ピンポイントで部位を狙うことには長けてはいません。

至近距離かつ広範囲を狙った攻撃に特化した銃だといえます。

しかしながら正確に心臓を傷つけていたことから数発、撃ち込まれたうちのひとつが運悪く命中。

もしくは、ある程度の精度が銃には確保されていたのかも知れません。

これらのことから容疑者は始めから至近距離で狙うことを想定していたと判断して間違いはなさそうです。

犯人は氏に近づける機会を伺っていたのでしょう。

しかしながら日本の猟友会の方曰く、

「あの音と煙は散弾銃のものじゃない」

などといった言葉も。

これらの情報を統合すると、凶器として使われたのは精度の低い散弾銃もどき(?)のような代物だったのではないかと考えられます。

手製だったため、その機構や威力、方式も従来の銃とは異なっていた。

いずれにしても口径は比較的、大きめだったため、弾は予め広範囲に散らばるよう調整されていた可能性が高いです。

恐らく容疑者は犯行に失敗することを恐れたのでしょう。

今の時代、3Dプリンターの普及にネットによる知識。

闇取引だって簡単に出来てしまいます。

それら手段の手軽さと豊富さは一昔前とは比較にもなりません。

いかに銃刀法が存在してる日本とはいえ、結果、その気になれば素人でも簡単に銃を手にすることができてしまいます。

大変、皮肉なことですが今回の事件は、そのことを顕著なまでに裏付けています。

残念ながら、そういった時代に突入してしまいました。

これは我々一般人にとっても決して他人事ではありません。

心に闇を抱えた人間、明確な殺意を持った人間に言葉は通じません。

彼らは何ヶ月、何年かけてでも、その機会を待ちます。

虎視眈々と。用意周到に。

周りの目と耳を欺きながら。

一度、凶器を手にしてしまった彼らのような怪物を完璧に防ぐのは極めて困難です。

今回のことは、その現実をまざまざと突きつけられたといっていい。

我々を守ってくれるはずの銃刀法は、今や過去の遺物なのかも知れません。

犯行動機について

どのような理由があっても今回のことは蛮行だと言わざるを得ない。

決して起こってはならないし、許されてはならない事件であったことは誰の目からみても明白です。

容疑者の言動は身勝手極まりない卑劣な犯行には憤りを禁じ得ません。

しかし容疑者の発した「某宗教団体」というワードは気になりました。

果たして、その意味するところは?

我が国、日本において宗教についてはタブー視されているため、今後もこの件にかんして白日の下に晒されることは恐らく無いでしょうが、以前から氏の某団体への関与がまことしやかに囁かれていたのも事実。

もしかすると我々の知らない裏の顔を持ち合わせていたということがあったのかも知れません。

(それでも今回の暴挙は到底、許されることではありませんが)

どの国でも宗教の問題は根深く、同時に人を簡単に操り狂わせることができる手段としての顔も持ち合わせており、これまでにも多く利用されてきました。

そのことは歴史が証明しています。

いってみれば宗教とは諸刃の剣で、使いようによっては救いにもなるし兵器にも成り得る。人を獣にだって変えてしまえる。

これは非常に恐ろしいこと。

言うまでもなく、その背景には国家や利権、様々な事情や人脈が渦巻いています。

或いは、彼らであれば今回のような状況を意図的に作り出すことも可能だったのではないでしょうか。

この説が仮に事実であったとするなら何故、このタイミングで?

もう総理大臣を退いて何年も経つのに?

といった疑問も生まれてきますが、その考えは直ぐに正すべきでしょう。

その理由については

何か触れてはならないものに触れてしまった。

裏で何か大きな計画、政策や交渉が進行中だった。

等々。

未だ絶大な人気を誇り、影響力の強い氏であっただけに上に挙げた以外にも理由は幾らでも考えられます。

流石に荒唐無稽だし飛躍しすぎ!

などといった声も聞こえてきそうですが、既にこうして荒唐無稽な事件が起きてしまいました。

残念ながら。

安全だったはずの、この日本でです。

このことが何を意味するか。

それについて我々は、よく考える必要があるでしょう。

暗殺について

暗殺とか、いつの時代だよ。

などといった言葉を、よくネットで目にすることがあります。

しかし本当にそうでしょうか?

希望を打ち砕くようで申し訳ありませんが、それは幻想です。

単に方法が巧妙なだけ。

これまで我々の目には見えづらかっただけです。

いつの何時代になろうが暗殺は決してなくならない。

なくなる理由がない。

残念ながら、それが真理です。

世の中から恨み辛み。

犯罪や戦争がなくならないのと同じです。

マスコミについて

まず、“元海上自衛隊”を強調しすぎる点。

これについては否めないでしょう。

相変わらずの自衛隊を貶める印象操作。

ほら! 自衛隊って酷いでしょう!? こんなに悪いんですよ!

とでも言わんばかり。

ちなみに犯人が自衛隊に所属していたのは今から約17年前。

それも、たったの三年です。

彼らからしてみれば余程に自衛隊の存在が邪魔なのでしょう。

世界中どこを見渡してみても自分の国の軍隊について、これほど卑下する国などありません。

では、彼らは何が目的なのか?

この日本から自衛隊が排除されることで得をする国は果たしてどこでしょうか? 喜ぶ国は?

逆算すれば自ずと答えには辿り着けます。

それに現役時代、あれだけ氏に対して蔑む報道をしておきながら今更、美化する姿勢。

そうかと思いきや森カケ、桜を連呼。

当時、あれだけ調査したにも関わらず、証拠が何一つ出てこなかった件を今更、掘り下げて騒ぎ立てる始末。

これは故人を侮辱する所行以外の何ものでもない。

正直、観るに堪えません。

言うまでもなく、報道とは常に中立でなければなりません。

どこかに歪みや偏りがあってはならない。

称えるべき部分は称え、非難すべき部分は非難する。

それこそが真実だし報道のあり方というもの。

攻撃するばかりでは話にもならない。

このまま今の姿勢を崩さず続けていては、いずれマスメディアは自ら崩壊を招くことでしょう。

しかし、悲しいことに未だ一部には鵜呑みにしてしまう人がいるのも事実。

この手の傾向は特にテレビや新聞を盲信している団塊世代に多くみられます。

他のメディアから情報を得る術を持たない、自らの意思で考えることを放棄してしまった人たちは垂れ流された報道を、そのまま額面通りに受け取ってしまう。

それが何者かの手によって作り出された世論誘導に思想、プロパガンダであることも気づかずに。

これほど愚かなことはない。

大切なのは情報源を一方向だけに絞らず、数ある選択肢の中から、どのソースを信ずるか。

誰かがこう言ったから。

そう新聞に書いてあったから。

そういった固定概念を一切、切り捨てて何が真実なのかを自らの目でよく見極めること。

それが出来るようになったとき、誰かの操り人形ではない、真の民主主義国家としての日本が誕生するのではないでしょうか。

まとめ

中国の台頭にウクライナ問題、世界的に低迷する経済。

この国難の最中、安倍氏は今一番、この日本という国、世界において必要な政治家だったのではないでしょうか。

それを思うといたたまれない気持ちに苛まれます。

代われるものなら代わりたい。

個人的には安倍さんは病気で亡くなられた。これは仕方がなかったのだと思うことにしました。

そうでも考えなければ、あまりに気の毒だしやりきれない。

憲法の改正に経済の立て直し。

志半ばで倒れられ、さぞや無念だったことだと思います。

盟友だったトランプ氏の言葉が胸に突き刺さります。

『彼は本当に日本を愛していた』

悪い奴らほど、よく笑う。

そんな世の中であっては絶対にならない。

いつから日本は亡くなってしまった人を汚し、冒涜するような恥ずかしい国になってしまったのでしょうか?

残念ながら一部界隈には、そういった心ない、下劣きわまりない議員やジャーナリストが存在してるのも事実です。

『自業自得』

などと発言し嘲笑った不届きな国会議員もいたのだとか。

その思想や相手が誰であれ、わたしの知ってる日本は故人を偲び尊ぶのが美徳だったはず。

侵略戦争は既に、この日本国内から始まっているのかも知れません。