ファブルやスパイファミリーも真っ青!? 実在した殺し屋組織『マーダー・インク』とは?

ファブルやスパイファミリーも真っ青!? 実在した殺し屋組織『マーダー・インク』とは?

どうも、さかいです!

皆さんは殺し屋と聞いて何を連想しますか?

本来は犯罪者であるにも関わらず、今や映画やコミック、アニメの中では引っ張りだこ。

それこそ見ない日はないくらいですよね。^^;

しかし、それはフィクションの世界だからこそ楽しめているわけで。

殺し屋なんて架空の存在。

いるわけなんてない。

そう思ってる方も多いのではないでしょうか?

しかし本当にそうでしょうか?

もし、わたしたちの身近に彼らが存在していたとしたら?

今回は、そんな殺し屋について。

かつて実在していた暗殺株式会社について紹介していきたいと思います。

概要

マーダー・インク 。または殺人株式会社とは、1930年代から40年代にかけて暗躍した犯罪組織。

主要メンバーの出身地にちなみ、ブラウンズヴィル・ボーイズとも呼ばれました。

ちなみに、これらの名前はマスコミが命名したもの。

ニューヨーク・ワールドテレグラフのハリー・フリーニーが命名したとされます。

設立目的

1930年代前半、ラッキー・ルチアーノを中心とするニューヨークのイタリア系ユダヤ系犯罪シンジケートが、

「縄張り争いは各々のビジネスを損なう」

という発想の元、殺人行為を規律化するため、プロの殺し屋から構成される暗殺専門の執行機関を作りました。

ラッキー・ルチアーノは彼以前のボスたちと違い「しきたり」や「伝統」よりも合理性の追求を求めたといわれています。

簡単に言えばビジネスとして犯罪を行ったということです。

ルチアーノは初めてマフィアを組織化(会社化)した人物としても知られています。

暗殺はビジネスの必要に限定され、恋愛や復讐など個人的な理由は禁じられていました。

反逆者の粛清や政府密告者の口封じが中心。

  • 殺人行為を規律化するため、プロの殺し屋によって組織を構成。
  • 暗殺はビジネスのみに限定(恋愛や復讐など個人的なものは禁止)
  • 反逆者の粛清や政府密告者の口封じが中心
  • 決して民間人は巻き込まない
  • 足がつきにくいアイスピックやロープが暗殺道具として好まれた
  • 本部はルイス・カポネ所有の24時間営業の菓子屋
  • 給料制で週給50ドル~250ドル程度(技能や経験に応じて変化)

まさにプロ集団!(歩合制でなく給料制なんですね。(汗))

なんか必殺仕事人みたいです。

※多分、普通の求人情報誌とかでは見つけられないでしょうけども。^^;

構成員は主にニューヨーク市ブルックリン区のブラウンズヴィル、イースト・ニューヨーク、オーシャン・ヒル地区のユダヤ系・イタリア系ギャングが中心でした。

経緯・構成

1920年代後半にブラウンズヴィルのエイブ・レルズがシャピロ兄弟に復讐する為に結成したギャング団(レルズ、マーティン・ゴールドスタイン、ハリー・マイオーネ、その部下フランク・アッバンダンド)が原型。

後になってハリー・ストラウス、エマニュエル・ワイス、アルバート・タネンバウムが加わり、これをジョー・アドニスがまとめてマーダーインクに仕上げ、ベンジャミン・シーゲルが管轄しました。

シーゲルがそのまま頭領になる予定でしたが、コミッションの一部から独裁になることを警戒され外されることに。

代わりにルイス・”レプケ”・バカルターが頭領、アルバート・アナスタシアが副頭領に落ち着きました。

【1】マフィア/ギャング間から具体的な処刑要請が入る

【2】バカルターとアドニスが受け口になって承認

【3】ジェイコブ・シャピロ(ユダヤ人部門)またはアナスタシア(イタリア人部門)のいずれかを通じ、暗殺部隊に伝えられる

【4】部隊が暗殺実行

といった流れ。

本当に会社みたいですね!><

サラリー制で、メンバー個々の技能や経験に応じて週給50ドル~250ドルが支給されたといいます。

本部は、ブラウンズヴィルの Midnight Rose’sというルイス・カポネ所有の24時間営業の菓子屋に置かれました。

処刑方法

さてさて気になる、その手口とは?

この体制で実際に数百人のギャングやマフィア幹部らの殺害が実行されたといいます。

その方法は実に多種多様。

銃撃や絞殺、溺殺、刺殺など。(三味線の紐とか、かんざしとかは流石に無いよね。^^;)

特に足のつかないアイスピックやロープが好まれたといいます。

(本物の暗殺者はフィクションのように派手に立ち回るのを極端に嫌うし、その方が合理的なのですね)

「仕事はあくまでビジネスと割り切る」

「決して民間人を巻き込まない」

などの厳しいルールの下で任務を実行。

※民間人を巻き込まないというと聞こえはいいですが、恐らくは推測するに事態を荒立てたり厄介ごとに発展させないための気配りだったのでしょう。

メンバーは暗殺ターゲットと直接利害関係がなく互いに顔も知らないことが強みとなり、全米各地に出向いては暗殺業務に従事しました。

犠牲者の中で特に有名なのは、

1935年10月24日に殺害されたダッチ・シュルツと3人の部下たち。

なお、暗殺が決まると

・関与者全員のアリバイを用意

・死体運搬用の車を用意

・運搬車は車を盗んで調達し、別途盗んだナンバープレートを据え付ける

・運搬ルートはナンバー読みを難しくするため大型トラックが多い貨物道路を使用

100年近く経った現在でも、犯罪者たちが同じような手口を用いてるところにルチアーノの先見性が垣間見られます。

当局に捕まった場合の裁判に備えて弁護士を常備し、投獄された場合はその家族の面倒をみたといいます。

司法取引

1940年2月、メンバーの1人エイブ・レルズが逮捕され、その際、供述と引き換えに減刑される司法取引に応じてメンバーの名を次々と挙げました。

その後、アルバート・タネンバウムも個々のメンバーの殺害行為について供述したことから、バカルター以下大多数のメンバーが逮捕。

裁判にかけられます。

そして、後にバカルターら7名が死刑となり、チャールズ・ワークマンらは終身刑などの長期刑の判決を受けました。

レルズはコニーアイランドのハーフムーンホテルで警察により厳重に身辺保護を受けていましたが、アナスタシアに捜査が及ぼうとしていた矢先の1941年11月12日にホテル6階から謎の転落死を遂げました。

マーダー・インク関連の裁判を主導したウイリアム・オドワイヤー地方検事(当時)とコネクションがあったフランク・コステロが首謀したと噂されました。

後にアナスタシアが1957年10月25日に殺害された際、タブロイド記事に

「死刑執行人が死刑に処される」

という皮肉を込めた見出しが躍ったといいます。

こうして組織は一連のメンバー逮捕および実刑確定により事実上消滅しました。

主要メンバー

ルイス・バカルター(通称:小さなルイス)

ラッキー・ルチアーノの腹心で、マーダー・インク(殺人株式会社)のリーダー。


二つ名の“小さなルイス”は幼少期に母親が呼んでいたあだ名が由来なのだとか。(こんなに悪い奴でも子供の頃はあったんですね。^^;)

温厚な顔立ちで穏やかな声、家族と過ごすことを好み、部下たちに優しかったそうです。

が、ビジネス(暗殺)を円滑に行うためには暴力を一切躊躇しないという側面も。

この二面性が恐いですね。

笑いながら金属バット振り下ろしてそう。。。

ルイス・バカルターは1931年、イタリア系マフィアの抗争でマッセリア、マランツァーノの両ボスが暗殺され、この抗争平定に協力した報償として全米犯罪シンジケートの重役の座を得ます。

が、1931年11月10日、フランコニアホテルでユダヤ系ギャングの会議をしていた時、尾行していた警察にベンジャミン・シーゲルらと共に逮捕されます。

しかし、犯罪謀議の集会をしていたとの容疑でしたが証拠なく放免。

更にシーゲルの管理下にあった殺人結社マーダー・インクを引き継ぎ、その社長に就任すると、副社長のアルバート・アナスタシアと共に規律破りのギャングに対する処刑業務を100件以上取り仕切りました。

手下には「殺す」「抹殺する」といった言葉の使用を禁じ、粛清・処刑には「hit」の隠語を使うよう求めました。

もし陰で会話を盗み聞きされても「hit」なら法廷で何の証拠にりませんでした。

こういった隠語は某カルト教団の『ポア』等にも共通しますね。

1930年代前半よりFBIにマークされ、警察もバカルターの闇の権力を認知していましたが、組織の人間を各地に派遣するだけで自らの手を汚さないバカルターを有罪にできませんでした。

1933年6月、マイク・コッポラ(ジェノヴェーゼ一家)といるところを逮捕されましたが、家宅捜索しても何も出てこず結局放免。

バカルターは銃の不法所持といった微罪にもならないよう銃の所持すら警戒していたといいます。

何度も警察の調査を受けながらも、処刑業務を100件以上取り仕切ったと言われ、かなり丁寧に殺しの仕事をしていたと言われています。

しかし、組織の崩壊は突然やってきます。

先述したように死刑を怖れたエイブ・レルズが司法取引を持ちかけ、マーダー・インク(殺人株式会社)の存在が世間の明るみに。

最終的には電気椅子により処刑。

ルイス・バカルターはアメリカのギャングの大物ボスで死刑になった最初で最後の人物といわれています。

逸話

・温厚な顔だちと穏やかな声をもち、仲間と酒を飲むのではなく家で家族と過ごし読書した。

・いつもウールスーツに身を包み、遠慮しがちな、申し訳なさそうな態度で人に接した。

・部下に対しては気前が良く、ホッケーゲームやボクシング、冬のクルーズなどに連れて行った。

・バカルターの処刑後ギャングへの司法当局の追及が止まった事から、組織への捜査をバカルターで手打ちとするマフィア-当局の密約があったとする見方がある。

・ターカス検事の回想記によると、第一級殺人が問われた裁判に出廷した証人は誰もバカルターを殺害命令者とは名指ししなかった。殺害指令は誰もいない部屋でたった1人にしか伝えなかったと言われる。自分をカバーする才能に長けた。ターカスはバカルターを死刑台に送り込むために、元仲間の証人たちに刑の減免と引き換えに偽証させたとする説がある。

・デューイはバカルターを有罪に追い込んだ功績を引っ提げて1942年の州知事選に臨み、当選した。オドワイヤーもバカルターを死刑台に送り込んだ功績を引っ提げて1945年のニューヨーク市長選に臨み、当選した。バカルターは野心的な政治家がキャリアアップするための踏み台となった。

アルバート・アナスタシア(通称:マッドハッター)

マーダー・インク(殺人株式会社)の副リーダー。

ニューヨーク・マフィアの黄金時代を作った人物のひとりです。

異名のマッドハッター(帽子屋)は「気が狂ってる」という意味で使われる言い回しで素手で殴り殺すことを好んだという逸話からきています。

約30年の間に少なくとも10回の逮捕歴があり、そのうちの5回が殺人容疑という人物で、凶暴さと残忍さを合わせ持った典型的なギャングだったのだそう。

反面、礼儀正しい愛想の良い人物だったそうです。

この辺りはルイス・バカルターと共通してますね。

きっと両者とも世を忍ぶ仮の姿を演じていたのでしょう。

1935年、マフィア狩りの検察官トーマス・デューイへの対応を巡って意見が割れた時、暗殺に賛成し、暗殺の実地検証をするためデューイを尾行します。

暗殺は実行可能と報告しましたが、デューイの暗殺は行われませんでした。

マーダー・インク(殺人株式会社)発覚後は、エイブ・レルズが証言の当日朝にホテル6階から転落死。

訴追を免れました。

その際、警察は自殺として処理したそうです。

が、最期は理髪店で暗殺され、タブロイド紙には「死刑執行人が死刑に処された」と書かれました。

逸話

・1921年から1954年の間に少なくとも10回の逮捕歴があり、そのうち5回が殺人容疑だった。

・マンガーノ兄弟を消して一家のボスになった時、ボスの間で不穏な空気が漂ったがジョゼフ・ボナンノは原則として他のファミリーの内輪の出来事に干渉しないと説き伏せた。アナスタシアは息子のビル・ボナンノに自分のファミリーに入ってもかまわないと言った。しかしジョゼフが丁重に断って、ビルはボナンノ・ファミリーに入った。

・1952年、銀行強盗のTVニュースを聴いていたアナスタシアは強盗の逮捕に協力したとされる目撃者のインタビューを聞くに及んで、「I can’t stand squealers!」(俺はタレコミ屋どもが大嫌いなんだ!)と叫んだ後、部下を使いその男を殺害したとされる。その行動は暗黒街の掟ではルール違反であった。

・1957年、ジェノヴェーゼがジガンテを使いコステロを狙撃したとき、怒り心頭のあまり、プロファチとジョゼフ・ボナンノを訪れてジェノヴェーゼを組織から排除したいと告げたという。

・1962年頃、ジェノヴェーゼに殺されることを疑心暗鬼してFBIに接触した弟のアンソニーは「兄とは同じところからやってきて同じ釜の飯を食ってきた。でも兄は人を沢山殺した。殺されても仕方なかった」とFBIに語った。カルロ・ガンビーノのことを終始「あの野郎(that Guy)」と言い、名前で呼ばなかったという。

・当時のギャングの中でも凶暴さと残忍さで際立ち、特に自らの素手で殴り殺すのが好きだったといわれている。”マッドハッター”の異名で恐れられたが、ニュージャージの自宅に戻ると行儀正しい一般人に変貌し、隣人に愛嬌を振りまいた。

・背が高く運動選手のような身体をしていて肩幅も広かったが、太っていたわけではなく、かつて軍で体育の教官をしており、本人もそれを自慢にしていた。

エイブ・レルズ(通称:キッド・トゥイスト)

マーダー・インク(殺人株式会社)でもっとも恐れられた殺し屋といわれた人物。

異名の「キッド・トゥイスト」は20世紀初頭に暗躍したユダヤ系ギャングのマックス・ツヴェルバッハのあだ名にちなむとも、好んで食べたキャンディからとも言われています。

少し脱線しますが、こういったギャングやマフィア絡みの愛称って、やたら可愛らしい名前をつけられる傾向があるみたいですね。

彼は背が低くまるで子どものように見えたそうですが、非常に凶暴で典型的なステレオタイプ的なギャングだったのだとか。

1940年2月に麻薬取締法違反、住居侵入、暴行、強盗、殺人の容疑で逮捕されます。

レルズは死刑を逃れるために、司法取引を行います。

そして、マーダー・インク(殺人株式会社)が公になり、社会に衝撃を与えます。

レイズの供述によりルイス・バカルターは処刑されます。

しかし、アルバート・アナスタシアまで失いたくなかったルチアーノはレイズの殺害を実施。

証言の当日朝にホテル6階から転落死します。

典型的な口封じによる殺害でした。

マーダー・インク(殺人株式会社)は彼の作ったギャング団が原型といわれています。

生みの親であり、同時に組織崩壊のきっかけを作った立役者だといえるでしょう。

サルヴァトーレ・ルカーニア(通称:ラッキー・ルチアーノ)

アメリカ合衆国のマフィア。

イタリア系犯罪組織のコーサ・ノストラの最高幹部・組織改革者で、犯罪シンジケートの立案者。

マフィアの古い仕来たりを止めてビジネスとして組織し、人種にこだわらずにアメリカにあるような合理性を追求して勢力を拡大しました。

イタリアへ追放されてからは麻薬コネクションを形成、独自の手腕によって暗黒街を発展させました。

拷問を受け瀕死の状態で発見されるも奇跡的に生還。

その強運から「ラッキー・ルチアーノ」という愛称で呼ばれるになったのだとか。

(拷問を受けてる時点で、さほどラッキーではないような。^^;)

マーダー・インク(殺人株式会社)の生みの親であり、組織の理念である「縄張り争いは各々のビジネスを損なう」は彼の思想を反映。

積極的な賄賂で警察の捜査を遮断し、政界との癒着を深め、組織を守るという現在の犯罪組織のベースを作った人物です。

その卓越した手腕は、かのアル・カポネに通ずるものを感じさせます。

裏社会にとっての改革者であったといえるでしょう。

逸話

華奢な体つきで無口な男だった。しかし必要な時には暴力を振るったし、意見を求められれば自分の考え方を話したという。

・バレリーナのイゲア・リッソーニと情を通じて同居生活を送っていたものの、生涯1度も結婚しなかった。また「自分の子供にはギャングとしての人生を歩ませたくはない」と子供をもうけることもなかった。

・バニラのアイスクリームが好物だった。

・1916年6月26日に麻薬不法所持で逮捕され、このとき入ったハンプトン・フォームス刑務所内で、本名のサルヴァトーレのことをサリーちゃんとからかわれたという。この頃からチャールズ・ルチアーノと名乗るようになったという。

・マッセリアの配下にいたときにマランツァーノがマッセリアを裏切るように誘ってきたがルチアーノは乗らなかった。そのため誘拐され拷問を受けた。1929年10月17日にニューヨークのスタテンアイランドの路上で意識不明で倒れていた。すぐに病院に運ばれ緊急手術を受け奇跡的に助かる。このとき顔を切り裂かれていたため55針を縫ったという。この傷は一生残ることになる。そのため右目蓋がたれている。それでも命は助かったことから「ラッキー・ルチアーノ」というニックネームが付き、仲間からはチャーリー・ラッキーと呼ばれるようになった。

1946年にパレルモで大戦中に協力してもらったカロジェロ・ヴィッツィーニと会う、2人は出身の村も近く気が合ったという。彼とはパレルモに菓子会社を共同で作ったりもした。しかし、裏では麻薬密輸も行っていた。

・1957年10月中旬にパレルモの高級ホテルである「パルメ」で、シシリー・マフィアとアメリカン・マフィアのトップ会議があった。中心メンバーはジョゼフ・ボナンノ、ラッキー・ルチアーノ、ジョゼッペ・ジェンコ・ルッソである。会議の主要テーマは麻薬取引についてで、マルセイユ経由のフレンチ・コネクションに対抗し、シチリアからアメリカ、ヨーロッパへのルートを確立させることだった。そのため、ヘロイン工場がシチリアで多く作られた。オリーブオイルの缶につめられ、年間3トンから4トンにものぼる量がアメリカへ送られたという。

・ナポリでは裕福な実業家として振る舞い、市内に豪華なアパートを2件、別荘を1件持っていた。常に完璧な外見をしており、服から爪先まで手入れを欠かさず、金縁の眼鏡がトレードマークだった。このころのルチアーノを知るトンマーゾ・ブシェッタは「彼は非常に真面目な人物だった。写真では醜男に見えるが、実際は美男子だった。それはその仕草や物腰がどんな時でも格段に際立って見えたからだ」と語っている。

・晩年にはかつての盟友であるヴィト・ジェノヴェーゼから刺客を送られたという。

マリオ・ルチアーノなど世界中に末裔を名乗る人物がいるが血縁関係が証明されたことはない。

・1961年に自伝映画の話が持ち込まれる。報酬は10万ドルと配給収入の一部を受け取る契約であった。ルチアーノはこの申し出を受諾する。しかしアメリカン・マフィアは納得しなかった。マイヤー・ランスキーはルチアーノが事実上オメルタを破ることに激怒したという。それでもルチアーノは映画製作を決心した。

その他のメンバー

ジェイコブ・シャピロ (1947年獄中死)
マーティン・ゴールドスタイン (1941年処刑)
ハリー・マイオーネ (1942年処刑)
フランク・アッバンダンド (1942年処刑)
ハリー・ストラウス (1941年処刑)
ルイス・カポネ (1944年処刑)
アルバート・タネンバウム (情報提供者、1976年死亡)
シーモア・マグーン (消息不明、2003年にラスベガス郊外で遺体発見)
エマニュエル・ワイス (ダッチ・シュルツ殺害犯、1944年処刑)
チャールズ・ワークマン (同上、終身刑になるも1964年出所)
ジョン・ディオガルディ (後にルッケーゼ一家のカポレジームとなる)
フランキー・カルボ (後にルッケーゼ一家所属)
Irving “Knadles” Nitzberg
Vito “Socko” Gurino (1942年に懲役80年の判決)
Jacob “Jack” Drucker (1944年に25回の終身刑の判決、1962年に獄中で死去)
Sholom Bernstein (バカルターの裁判で証言)
Philip “Little Farvel” Cohen (情報提供者になり、1949年に殺害される)
レッド・レヴィン

まとめ

さてさて、いかがだったでしょうか?

まさにフィクションにでも登場しそうな殺人株式会社。

過去、実在していたなんて驚きですよね。

そこには“ラッキー”と呼ばれた伝説的マフィアの存在が欠かせません。

まさに彼は裏社会の革命児。

組織を効率化させた、その手腕には一点の疑いもないでしょう。

更にはアメリカへの移民増加、禁酒法、第二次世界大戦などなど。

歴史的背景が後押ししたことも否めません。

が、結果は先述したとおり。

組織は崩壊。

悪の栄えた試しはありません。

しかし、本当にそうでしょうか?

実は未だ何処かで息を潜めているとしたら?

或いは表沙汰にならないだけで、この殺し屋会社と類似した組織はあるのかも知れません。

あなたは、どう感じましたか?^^

参考文献:Wikipedia