嘘? 本当?『ハーメルンの笛吹き男』の伝承は実話だった?

嘘? 本当?『ハーメルンの笛吹き男』の伝承は実話だった?

どうも、さかいです!

今回は『ハーメルンの笛吹き男』のお話。

有名なお話なので皆さんも一度は耳にしたことがあるかと思います。

ほとんどの人は童話か作り話だと思われていのではないでしょうか。

でも、この話が真実だった。

と言ったら?(笑)

前置きはこれくらいにして、早速、ご紹介していきたいと思います。

ハーメルンの笛吹き男とは?

1284年、ハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。

ある日、町に笛を持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男が現れ、報酬をくれるなら町を荒らし回るネズミを退治してみせると持ちかけた。

ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。

男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。

男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。

しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった。

約束を破られ怒った笛吹き男は

「お前たちの大切なものを代わりにいただこう」

と捨て台詞を吐きいったんハーメルンの街から姿を消したが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び現れた。

住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。

130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にある洞穴の中に入っていった。

そして穴は内側から岩で塞がれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。

物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた1人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝える。

Wikipediaより

歴史

この物語への最初の言及は、ある意外な場所から端を発します。

その場所とは何と教会!

1300年頃にハーメルンのマルクト教会に設置されていたステンドグラスなのですね。

ちなみに、このステンドグラスは1660年に破壊されています。(なんてこったい!)

ハーメルンの郷土史家ハンス・ドバーティンというオジサンが、残された文献に基づいて、現在のステンドグラスに復元。

このステンドグラスからは色鮮やかな衣装を纏った笛吹き男と、彼に連れ去られたという子どもたちの姿が垣間見られます。

ちなみに、このステンドグラスには以下の説明文が添えられていました。

1284年、聖ヨハネとパウロの記念日

6月の26日

色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった

それだけかい!(笑)

なんて思わず突っ込みたくなりますが、

うーん、何とも不気味な碑文ですよね。^^;

コッペンとは、ハーメルンの街を囲むいくつかの丘の一つであるとされていますが、詳細については不明とされています。

このステンドグラスは、ハーメルン市の悲劇的な史実を記念して制作されたと一般には考えられているようです。

伝承にまつわる数々の仮説

精神異常の小児性愛者説

作家のウィリアム・マンチェスターは、笛吹き男は精神異常の小児性愛者だったと述べています。

この事件が起こったのは1484年の6月20日であり、この犯罪者はハーメルンのザクセン人の村から130人の児童を誘拐。

「口に出して言うのも憚られる目的」

に用いたのだとマンチェスターは断言しています。

更にマンチェスターは

「ある子供達は二度と姿を見せず、ある子供たちは五体バラバラにされて、森の繁みの中や木の枝から吊り下がっている所を発見された」

と付け加えています。

ぬぅ~、ここまでくると半分、ホラーです。(汗)

が!

マンチェスターの説を裏付けるような資料は一切発見されておらず、また、彼はこれを事実と断言する根拠を明示してはいません。(ただの思い込みかよw)

魔法使い説

ハーメルンの新門にあるラテン語の碑文には、この笛吹き男の正体はマグス(魔法使い)であったと刻まれています。

また、子供たちは何らかの自然的要因により死亡したのであり、笛吹き男は死神の象徴であったともされているようです。

※死神はしばしば笛吹き男のような、まだら模様の衣装を身にまとった姿で描かれる。

自然要因説として、子供たちはヴェーザー川で溺死したとする説、土砂崩れにより死亡したとする説、流行病により病死したとする説等があります。

巡礼行為、軍事行動説

子供達は何らかの巡礼行為か軍事行動、あるいは新規の少年十字軍運動(少年十字軍運動は1212年というこの事件のやや過去に起こっている)の一環として町から去り、二度と両親の元へ戻らなかったとする説。

18世紀後半から20世紀前半まで広く信じられていたのは、1734年にヨーハン・クリストフ・ハーレンベルクが唱えた、1260年のゼデミューンデの戦いで壊滅したハーメルン市民軍の記憶が変化。

この話が笛吹き男に引き連れられた130人の子供達となったとの説です。

この説では、名前のない笛吹き男は運動のリーダーか新兵徴募官であったと見なされているようです。

自らの意思で去ったとする説

現在、最も広く支持されている説のようです。

子供達は東ヨーロッパのドイツ人植民地で彼ら自身の村を創建するために、自らの意思で両親とハーメルン市を見捨て去ったとする説です。

この時代に創建された幾つかのヨーロッパの村と都市は、ハーメルンの子供達による開拓者としての努力の結果であると考えられています。

この主張はハーメルン製粉村を始めとした、ハーメルンと東方植民地周辺の地域それぞれに存在する地名によって裏付けられているようです。

なるほど。当時の時代背景に合致した説のようですね。

この説でも笛吹き男は、運動のリーダーであったと見なされています。

ちなみに更に掘り下げると、植民説は13世紀のドイツ地域はあまりにも多くの人口を抱え込んでいたため、長男のみが土地と権力の全てを相続し、他の者は農奴となるしかなかったとの考え方。

後に黒死病がこの不均衡を破壊したともされています。

自らの生まれ育った土地を捨て去らなければならない境遇にまで追い込まれた。

ということでしょうか。

だとしたら、なんとも悲劇的な話です。

人身売買説

子供達は東ヨーロッパのバルト地方からやって来た植民請負人に売られたためであるとの説。

※当時、児童売買は珍しい慣習ではなかった。

シェイラ・ハーティーは、自身の著書『笛吹き男の再訪』で、東方植民地に見られる姓とハーメルンで見られる姓は類似しており、ハーメルンの街で養育できなかった私生児や孤児、その他の児童が売られたというのは納得のいく説明であると述べています。

更にヴォルフガング・ミーダーは『笛吹き男ハンドブック』において、ハーメルンを含む地方の人々がトランシルヴァニアの一部への移民を支援した事を示す歴史的文書が存在すると述べています。

トランシルヴァニアはモンゴルによる中央ヨーロッパ侵略を受けており、その時期は笛吹き男伝説が歴史に現れる時期と前後しています。

さてさて、いかがでしたでしょうか?

仮にこの話がすべて真実だったとしたら?

笛吹き男が悪魔や死神、魔法使いの化身だったら?

こうなると、もはや超常現象を通り越してオカルトの領域ですよね。(笑)

いち読み物としては、とても魅力的だし興味が尽きません。

これだけの数の文献や伝承が残されているということは、完璧とまではいかずとも、恐らくそれに近い出来事があったという事実は間違いないのでしょう。

真実は果たしてどうだったのでしょうか。

ちなみに、このどこか教訓めいたストーリー展開に、名作漫画『笑うセールスマン』や『不能犯』を思い出したのは、わたしだけでしょうか。(爆)

笛吹き男は相手が初めからお金を払わないことを分かっていて話を持ちかけた。

こう考えたら、なんだか空恐ろしいものがありますよね。

だとしたら男の真の目的は? 

何故、そんな回りくどい方法をとったのか。

妄想が止まりません。(笑)

あ、これはあくまで、さかいの個人的な説です。(笑)

でも、もしも相手のことを自由に操れる笛があったら……。(エロい目)

このお話、皆さんはどう思いましたか?^^

参考文献:Wikipedia