【世界の未解決事件】『岡山地底湖行方不明事故』の真相とは? 本気で考察してみた
- 2021.09.09
- 世界の迷宮入り事件
どうも、さかいです!
今回は日本の岡山で起きた行方不明について。
比較的、有名な事件なので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
個人的な考察なんかも兼ねて、ご紹介していきたいと思います。
岡山地底湖行方不明事故とは?
2008年(平成20年)1月5日、岡山県新見市にある日咩坂鐘乳穴(ひめさかかなちあな)最奥部の地底湖で、当時21歳の大学生、名倉祐樹さん(当時21歳)が行方不明になるという事故。
しかし、サークル部長と副部長の不可解な言動から、事故ではなく事件性が高いことからネット上では「岡山地底湖行方不明事件」と呼ばれるようになった。
概要
この「岡山地底湖行方不明事件」が起きたのは2008年1月5日で午後6時15分頃。
警察に高知大学学術探検サークルのメンバーから「地底湖でひとりが溺れた」と通報があったことで捜索が開始。
以前から高知大学学術探検サークルは事故のあった「日咩坂鍾乳穴 」にはよく探検に行っていたと供述しており、この日はサークルメンバーや社会人など13人が新見市に集合。
そのうち顔見知りのサークルメンバー5人で午前11時半頃から探検に向かった。
2時頃、名倉祐樹さんが鍾乳洞奥の地底湖で泳いでいる最中、行方不明に。
警察は30人体制で捜索を開始。
鍾乳洞は奥行1600メートル、高さ15メートル、幅7メートル。
洞窟内の構造は進入が厳しく、人一人がやっと通れる隙間、首あたりまで水につかる難所があり、そのため捜索は困難を極めました。
鍾乳洞内部の地形に詳しい高知大学の探検サークルOBも救助に協力し、5日間におよぶ捜索が続きましたが、名倉祐樹さんは結局見つからずしまいで10日に搜索が打ち切られました。
ちなみに「日咩坂鍾乳穴 」は天然記念物に指定されていて非常に危険な構造であるため、立ち入る際には新見市への許可を取らないといけませんでした。
しかし当時、サークルメンバーは許可を取っていませんでした。
後に救助活動に当たった岡山県警機動隊の田村吉永警部補は「16年のキャリアの中でも3本指に入る大変さだった」と語っています。
不可解な点
- 入洞届を提出してない
- 5人いたのに地底湖で泳いだ(泳がされた)のは被害者の1人だけ
- 溺れるところを誰も目撃してない
- 溺れた時の状況説明がニュースソースによってコロコロ変わる
- 「タッチした」という声は聞こえたのに、助けを求める声などは一切聞こえなかった
- 救助活動を行わず現場に誰も残さないまま全員帰ってきた
- 命綱であるロープを回収して戻ってきている
- 「探検に必要な装備は備わっていた」と強調
- 遭難事故では隊長が記者会見するのが普通だが、逃げ回って記者会見をしない
- 探検部のページから「部長 白米美帆」「副部長 伊藤智子」の名前を真っ先に削除
- いつもは行き過ぎた報道合戦を行うマスコミが今回は部員に全く取材を行わない
- 被害者の知人を名乗る人物が高知大学のリモートホストから2ちゃんに削除依頼
- 被害者のmixiに勝手にログインしてプロフィール・日記を改竄
引用:himesaka @ wiki – mixi
名倉祐樹さんは1人だけ地底湖で泳がされていた?
証言によれば、高知大学探検サークルには、ある伝統行事がありました。
それは「日咩坂鍾乳穴 」奥の地底湖で飲み会をして、地底湖の奥の壁まで泳いで「タッチ」と言って戻ってくるといったもの。
地底湖は奥行20メートル、深さ30メートルと非常に大きく、事件の当日もサークルメンバーが
「名倉祐樹さんだけ衣服を着たまま地底湖で泳いでいた」
と証言。
そして、
「名倉祐樹さんが地底湖の奥の壁に「タッチ」と叫んだところまでは声が聞こえていた」
と答え、
「その後、声と姿が見えなくなった」
と証言しています。
関係者らの発表や記者会見は一切、行われず
当時、発表された報道では入洞した人数が5人や4人、13人と度々訂正。
このことからサークルメンバーが二転三転と証言を変えていることが窺えます。
なお、サークルメンバーは名倉祐樹さんが地底湖で行方不明になってから救助を求めて地上に戻る際に現場に誰も残さず。
さらに命綱と言えるロープを回収してきたと言われています。
その後、誰もメディアには顔を出さず。
取材に応じることもありませんでした。
mixi上から日記、名前を削除
部長たちは何らかの方法で取得した名倉祐樹さんの「mixi」アカウントのIDとパスワードでログイン。
名倉祐樹さんのマイミク一覧から自分を外したと言われています。
また、何度も名倉祐樹さんのアカウントにログインを繰り返していたことが分かっており、名倉祐樹さんのニックネーム「クラさん」から「ホワイト」に変更。
プロフィールの大部分を削除。
日記もすべて削除されていました。
考察
まあ、 誰がみたって怪しすぎですよね。(笑)
なにより、サークルメンバーらの供述がコロコロと変わっている。
この事実だけでも、彼らが嘘を吐いているといえる十分な根拠だと断言できる。
嘘を吐いてる人間は架空のストーリーを頭の中で創作しており、その場しのぎの口裏合わせ、辻褄を合わせようと必死になります。
そのため何度か質問に答えたり供述を繰り返していると矛盾が生じ必ずボロが出る。
何故なら、それが実際に起こった出来事ではないから。
複数だと連携が取れず、それがより顕著になって表れます。
これは心理学的にも証明されていて、警察の取り調べなんかでも供述を引き出すため、よく用いられる代表的な手法でもあります。
なので、彼らが事件に対し直接的に関与してなかったにしろ、最低でも嘘を吐いている、あるいは嘘を吐こうとしている意思は見え隠れしている。
そして、その後の彼らの対応。
SNSから自分たちの名前を消したり、メディアの質疑応答に応じなかったり。
まあ、これについては、彼らは大学生なので、その後の自分たちの就職や進路なんかを気にしたという可能性は捨てきれませんが、あまりにも不自然。
なにかしら事情を知っていると疑われても仕方がないのではないでしょうか。
さてさて、この実に不可解な行方不明事件。
いったい、なにが真実で、なにが嘘なのでしょうか?
個人的に2つほど仮説を立ててみました。
可能性1 本当に事故だったとする説
たまたま、その日は立ち入り許可を出していなかった。
※実際、当時は正月だったことから届けの窓口も開いていなかった等の証言もあり。
そしてサークルメンバーらは洞窟の地底湖で悪のり、いつものように騒ぎを繰り返す。
挙げ句、名倉祐樹さんが地底湖で泳いでる最中、なんらかの原因で行方不明になる。
すっかりメンバーらは気が動転。
早々に名倉さんは死んだと思い込んで混乱。
通常の手順を踏まずに慌てて洞窟を後にする。
当時は錯乱していたため個々の記憶や証言も矛盾だらけ。
その後は保身のために記者会見もボイコット。
SNSから身バレに繋がるものはすべて削除した。
全部の証言の食い違いを
“混乱していたから”
の一言で片付けるのには、些か無理があるようにも思えますが、まあ、なくはないかなとする説。
可能性2 殺人事件説
行方不明になった名倉祐樹さんの遺体は見つかっていないことから、 名倉祐樹さんは地底湖で計画的に殺害された。あるいは既に死んでいたとする説。
個人的には、この説が一番、濃厚だと考える。
誰も彼らが名倉祐樹さんと一緒に洞窟内に入っていく姿を見ていない。
仮に入洞届を出していれば、まだその証明もできたかも知れないが、それもない。
始めから彼らが名倉さんの関与を隠そうと画策したのであれば入洞届を提出しなかったのにも、ある程度、説明がつく。(正月の最中にある1月5日という日付を、あえて選んだとする可能性も)
あくまで名倉さんが洞窟内に入ったという事実はメンバーの証言にすぎない。
勿論、よくネットで言われているように“洞窟内”で名倉さんがサークルメンバーによって計画的に殺害された可能性もある。
しかし、それよりも、どこか別の場所で名倉さんは既に殺害されており遺体は処分済み。
洞窟内でのトラブルは、むしろフェイク。
一種のアリバイ作りだった。
事故に見せかけた殺人事件だったと推理した方が自然なのではないだろうか?
遺体が地底湖から発見されてしまっては色々と証拠や死因なども調べられてしまい都合が悪い。
なにより確実に名倉さんを殺害できるという保証がない。
意図的に、もしくは事故か。
なんらかの事情によって当時、名倉さんは既に死亡していた。
その事実を隠蔽するため(世間と警察の目をそらすため)洞窟内での行方不明事件をサークルメンバーらが演出した。
各々で証言が食い違っているのも、このため。
口裏を合わせようとすればするほど怪しまれるため、メディアからも逃げ続けた。
その後の捜査は警察も決定的な証拠を掴めなかったか。
またはサークル内あるいは、その家族や知人の依頼により捜査を中断。
どこからか圧力が働いて隠蔽に走った。
そう考察できるのではないだろうか?
さてさて、いかがだったでしょうか?
いずれにせよ、未だ謎の多い未解決事件とされるだけあって、なかなかに不可解ですよね。^^
あなたは、この難事件。
どう推理しますか?^^
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