エヴァンゲリオンでもお馴染み、ロンギヌスの槍とは?
- 2021.03.25
- 事実は小説よりも奇なり
どうも、さかいです!
今、話題の『新世紀エヴァンゲリオン』新作映画。
もう皆さんはご覧になりましたでしょうか?
さて、今回は、そんなエヴァにも登場する『ロンギヌスの槍』について。
勿論、名前は知ってるし響きも格好いいけど、実際はどんな槍だったの?
という方も多いのではないでしょうか。
果たして槍は実在したのか?
もし実在していたのだとしたら、どんなエピソードが残されているのか?
それらについて、ご紹介していきたいと思います。^^
聖槍の概要
聖槍は、磔刑に処せられた十字架上のイエス・キリストの死を確認するため、わき腹を刺したとされる槍とされる。
イエスの血に触れたものとして尊重されている聖遺物のひとつ。
槍を刺したローマ兵の名をとって、「ロンギヌスの槍」とも呼ばれる。
また英語圏では、 俗称である”Spear of destiny”でも よく知られ、こちらの方が知名度が高かったりもする。
聖遺物崇敬が高まった時代にいくつかの「聖槍」が発見され、現在も複数が保存されている。
Wikipediaより引用
と、あります。
う~む、要するにロンギヌスさんという兵士が、イエスの脇腹を刺してしまった槍。
ということのようです。
同じ死を確かめるにしても、もうちょい他にあったんじゃね? というツッコミは無しとして、本当のところはどうなんでしょうかね?
ロンギヌスなる人物について
このイエスの死を確認するために槍を刺したという兵は果たして実在したのか?
このローマ兵は、伝統的にロンギヌスと呼ばれています。
彼の名は新約聖書には見られず、外典である「ピラト行伝」付属のニコデモ福音書に登場。
ロンギヌスについては後世の創作ですが、実際にイエスに槍を刺した人物がいたかどうかについては定かではないようです。(やっぱりw)
言い伝えによれば、彼は白内障を患っていましたが、槍を刺した際に滴ったイエスの血がその目に落ちると視力を取り戻したとあります。
それを契機として彼は洗礼を受け、後に聖者(聖ロンギヌス)と言われるようになったといいます。
聖槍の行方
さて、この聖槍ことロンギヌスの槍ですが、本当に存在するとするなら今、どこにあるのでしょうか?
てか、どこ行っちゃったんでしょうか。(笑)
実は歴史の端々で登場してるんですね。
ローマの聖槍
イエスの処刑から600年後
エルサレムはペルシャ軍に占領されます。
この時、原因は不明ですが槍の先端部が欠けたとあります。
(つか、何してくれとんねんw)
先端部は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(イスタンブール)に運ばれ、宝石で飾られた十字架の中心部に埋め込まれることに。
そして、当時キリスト教の教会だったアヤソフィア大聖堂に収められ、80年後には本体も届きます。(お届け物でーす!)
その後しばらくは聖堂にあったとされます。
更に600年後
フランス国王ルイ9世が先端部のみを買い取ることに。
槍の先端はパリに保管されるるも、フランス革命により行方不明に。
一方、本体の方は15世紀にイスラム勢力によってコンスタンティノープルが陥落した時もそこに留まったとされます。
(誰か接着剤持ってきてーーー)
1492年
オスマン帝国のスルタンバヤズィト2世は、かつて聖墳墓教会にあったとされる聖槍を教皇インノケンティウス8世に贈ります。
スルタンの座を狙う弟をイタリアに幽閉してもらうための交換条件だったとされます。
現在、この聖槍はサン・ピエトロ大聖堂に保管されていますが公開はされていません。
アンティオキアの聖槍
第一回十字軍がアンティオキア攻囲戦で苦戦しているとき、トゥールーズ伯レイモン麾下のペトルス・バルトロメオなるものが、聖アンデレのお告げにより聖槍を発見したと主張。
十字軍将兵の士気は高まり勝利を得ましたが、槍の真贋を疑うものも多かったため自ら神明裁判(神意を得ることにより、物事の真偽、正邪を判断する裁判方法)を買って出ます。
ペトルス・バルトロメオは槍をたずさえ火に飛び込んだが火傷が酷く、数日後に死亡し、槍はその後行方不明に。
(結局、無かったんじゃん?w)
アルメニアの聖槍
アルメニアのエチミアジン大聖堂に保存されている聖槍は、現在のゲガルド修道院がある場所で発見されたと言われています。
逸話によると、聖槍を持ち込んだのは12使徒の1人、タダイ。
この地に流れてきたタダイは、聖槍を持っていたため地元の異教徒に恐れられ、首を刎ねられたとされます。
タダイは死ぬ前に数人の異教徒をキリスト教に改宗させており、キリスト教徒たちはタダイの死後、聖槍を秘密の洞窟に隠します。
現在のゲガルド修道院がある場所です。
聖槍はそこに200年間眠り続けます。(zzzzzzzz……)
次にこの聖槍を手にしたのはアルメニアで福音書の教えを広めようとしたグレゴリウス。
しかし、グレゴリウスは異教の権力者に捕らえられ、ホルヴィラップ修道院の地下牢に13年間閉じ込められてしまいます。
グレゴリウスは奇跡的に生き延び聖槍を取り戻すと、王と民衆をキリスト教に改宗させ、最終的にアルメニアは世界初のキリスト教国家となります。
アルメニア教会は槍がローマのものではないことは認めており、イエスの時代のユダヤ人兵士が使っていたものとしています。
神聖ローマ皇帝の聖槍
神聖ローマ皇帝のレガリアである帝国宝物のひとつとされる“聖槍”は、オットー1世の時代から伝わるとされています。
長らくニュルンベルクで保管されていますが、ナポレオンの侵攻以降はウィーンで保管されることに。
アンシュルス後にはナチスによってニュルンベルクに戻されますが、戦後にはウィーンに戻っています。
ロバート・フェザーによる詳しい研究の結果、槍の大部分は鉄製と判明。
外側を覆う金の鞘には「神の釘、神の槍」と書かれています。
この槍はエジプトでローマ軍の隊長であったモーリスの物だったとされます。
モーリスはキリスト教徒でした。
286年、皇帝マクシミアヌスの命により、彼は槍を携えてヨーロッパに遠征。
スイスのレマン湖周辺で起きた暴動を鎮圧するためでしたが、彼らが到着した時には既に反乱は鎮圧されていました。
その後、反乱軍がキリスト教徒だったと知ったモーリスは、皇帝に願い出て彼らを処刑することを拒否します。
これに皇帝は激怒。
モーリスとその部隊全員を処刑するように命じたとされ(部隊はとばっちり!?)死を前にしても揺らぐ事のなかったモーリスの信仰心は中世の騎士たちの模範となり、彼は騎士や戦士の守護聖人である“聖モーリス”として崇められることになります。
モーリスの処刑後
槍はコンスタンティヌス大帝のものに。
当時ローマ帝国は政治的、宗教的に東西に分裂していました。
コンスタンティヌス大帝は帝国の覇権をかけた戦いの直前、輝く十字架と「この印の下、汝は勝利するであろう」という文字を夢に見ます。
これに心動かされたコンスタンティヌスは自分の兵士たちの盾に、キリストを意味する頭文字を描かせたとされます。
さらに、戦いには聖槍を持って臨み、見事、勝利を収めます。
その後はキリスト教に傾倒したとされます。
後年、帝国をまとめるには新たな宗教が必要と考えた彼はキリスト教を公認します。
476年
西ローマ帝国が滅亡。
その数百年後、槍はカール大帝の手に渡ります。
彼が教皇から皇帝に任命された後、聖槍は行方不明に。
その後、銀の鞘の上に黄金の鞘をつけたのはカール4世だと考えられているようです。
彼は次期神聖ローマ皇帝を狙っていた。
そして、カール4世の子孫が生活に困り、ニュルンベルクの町議会に売り渡してしまいます。(おいおいw)
更に時は流れ現代。
2003年1月
英国の冶金学者で技術工学の作家でもあるロバート・フェザーは槍のテストを行います。
結果、槍本体の年代は早くても7世紀と結論づけました。
その後間もなく、ウィーンの考古学研究所の研究者もX線などの技術を用いて調査。
同じく、槍は8世紀頃から9世紀初頭のもので、釘も同じ金属であることが明らかに。
紀元1世紀の時代との関連はないと断定されます。(でしょーねw)
さてさて、いかがでしたでしょうか?
その後、
「所有するものに世界を制する力を与える」
との伝承を信じて、アドルフ・ヒトラーが霊感まがいのお告げを受けただの、この聖槍にまつわるエピソードは話題が尽きません。
※神聖ローマ帝国の後継者であることを示すためだったとの諸説あり。
個人的には聖杯や聖櫃なんかと一緒で、だいぶ浮き世離れしているように感じますが、こういった逸話にはロマンがありますよね。^^
仮にどこかに現存していたとしても、超常現象やオカルトまがいのパワーはないように思います。
皆さんはどう感じましたか?^^
参考文献:Wikipedia
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