ルパン三世の愛銃『ワルサーP38』の驚くべき秘密!

ルパン三世の愛銃『ワルサーP38』の驚くべき秘密!

どうも、さかいです!

皆さんはワルサーP38と聞いて何をイメージしますか?

やっぱり真っ先に思い浮かべるのは、人気アニメ『ルパン三世』でお馴染み。

主人公であるルパンの愛銃としての印象が強いですよね。

それだけ某作品のイメージは強く、ワルサーの名前を一気に押し上げました。

しかし、その歴史は意外にも古いのをご存知でしょうか?

今回は、そんなワルサーP38にスポットを当てて、ご紹介していきたいと思います。

概要

ワルサーP38

カール・ワルサー社製の9mm軍用自動式拳銃。

1937年にHeeres-Pistole(HP)の名で開発され、翌1938年にP38としてドイツ国防軍の制式拳銃に採用。

第二次世界大戦中はルガーP08と共にドイツ軍によって広く使用され、終戦までに約120万挺が製造されたといいます。

歴史

1930年代、水面下で再軍備を模索していたヴァイマル共和国軍では、高価格と機構の信頼性について問題を抱えていた当時の制式拳銃、ルガーP08の更新計画が持ち上がります。

(ルガーはワルサーP38のご先祖様?w)

ルガーP08

1929年に警察向け拳銃PPを発表したばかりであったワルサー社は、この動きを受けて軍部向け新型拳銃の開発に乗り出します。

まず1934年に、PPを9mmパラベラム弾仕様に大型化したMP (Millitärische-Pistole) を試作。

しかし、MPの固定バレルとシンプルブローバック方式は使用される9mm弾に対して脆弱であったことから、ワルサー社は改めて1935年にショートリコイルを採用したAP (Armee-Pistole) を開発、軍に提案します。

このAPは既に後のP38に近い外観を有していましたが、撃鉄が内装式でコッキングされているかどうか直感的に分かりづらい点を軍当局は好まなかった為、製造は少数にとどまりました。

それらの試作品の中には75mmの短銃身仕様も存在したといいます。

APに対する評価を踏まえ、ワルサー社は1937年に撃鉄を外装式に変更したHP (Heeres-Pistole) を完成させました。

陸軍兵器局で提出品の試験が続けられる間、ワルサーHPは民間市場向けに販売が開始され、第二次世界大戦勃発まではアメリカにも輸出されました。

スウェーデン軍は1939年と1940年に計1,500挺のHPを購入し、m/39として制式化。

民間向けとして、通常の9mmパラベラム弾仕様以外に、少数の7.65x21mmパラベラム弾や.38スーパー弾、.45ACP弾仕様も製造されました。

1938年、HPはドイツ国防軍によって制式採用され、P38の名称が与えられました。

“38”という数字は正式名称が与えられた年号だったのですね。^^

翌1939年春から生産が開始され、ドイツ国防軍で実用試験に供されました。

HPとP38のエキストラクターは当初は内蔵式でしたが、軍の改善要求を受け、排莢が左側へスムーズに行われるよう露出した構造に変更されました。

更に軍用であるP38については、清掃の容易化の為にグリップのすべり止めがチェッカリングから畝状に並ぶ溝に改められます。

1940年4月にドイツ国防軍での試験が完了し、軍は410,600挺を発注しました。

銃の左側に入れられたワルサー社のロゴは、1940年9月に機密保持のためコード番号「480」の刻印に置換えられました。

この刻印は企業名をアルファベットの秘匿コードに置き換える新方針の導入に伴い、翌月10月、ワルサー社を示すacと製造年の数字下二桁の組み合わせに変更されました。

なので、実質「480」コードは1ヶ月しか使用されておらず、大変、珍しいのだとか。

ちなみに「ac」に変更した初期の頃は年号が入ってません。

ワルサー社では1945年までに約584,500挺が生産され、民生用であるHPの刻印を持つ製品は1944年半ばまで製造されたといいます。

ドイツ国防軍は月産10,000挺以上の製造を望んでいましたが、ワルサー社の生産能力ではその目標をかろうじて満たす事しかできなかったため、軍は1940年6月にモーゼル社に対し、ルガーP08の生産を終了してP38の生産を開始するよう要求。

しかし、同社によるP38の生産開始は1942年11月まで遅れ、それまではP08の量産が継続されました。

モーゼル社製P38には秘匿コードbyf、1945年からはSVWが打刻され、約323,000挺が生産されたといいます。

1941年9月からはシュプレーヴェルク社もP38の製造に加わり、翌年夏より本格的な量産が開始。

同社の秘匿コードはcyqで、1945年4月に工場がソ連軍に占拠されるまでに約283,300挺が生産されました。

製造された年や会社によって刻印が異なるというわけですね。

※ちなみにコード「AC41」までが純粋なワルサー社製。

この他、1942年にベーメン・メーレン保護領のベーミッシェ・ヴァフェンファブリーク 社にて100挺が組立てられたという軍需省の記録が残されています。

大戦末期、プレス鋼板と電気溶接による試作品も作られましたが、1丁のみを生産しただけでした。

1945年の終戦時、独ソ戦の舞台となった東ヨーロッパ各国にはドイツ軍からの鹵獲・接収品としてのP38が大量に存在していました。

一方、ドイツ本国に進駐したアメリカ軍なども、国内に備蓄されていたP38を一定数入手しています。

これにより、戦後は東西各国の軍・警察にてP38が採用され、一部では1990年代まで使用されていました。

モーゼル社は1945年4月20日にP38の製造を終了しますが、5月10日には現地に進駐したフランス軍の命令により製造が再開。

これは事前に連合国間で交わされたドイツ国内での武器製造を禁じる合意への明確な違反でした。

モーゼル社の製造コードもSVW45として維持され、1946年にはSVW46に。

フランス向けP38の大部分は第一次インドシナ戦争只中の仏領インドシナへと送られました。

皮肉なことに、これを受け取ったフランス外人部隊の中には敗戦後に志願した元ドイツ軍人も少なからず含まれていたといいます。

フランス向けP38はパーカー処理のために明るい灰色に見えるものが多く、後年コレクターからは「グレイゴースト」と称されています。

グレイゴースト

兵士の1人がP38を手にしているシュプレーヴェルク社が所在したチェコスロヴァキアも、残っていた部品を用いて1946年に約3,000挺を組立て、CZ46と命名。

西ドイツの再軍備に伴い、創設されたドイツ連邦軍もまた制式拳銃としてP38を欲し、1957年5月、ウルムに移転していたワルサー社でP38の生産が再開されます。

その後いくつかの仕様変更を施されたP38は、1963年にワルサーP1に改称されます。

1974年10月から1981年まで、銃身長を70mmまで短縮し(パイプ部分がほとんどない)、セーフティーレバーを単純にデコッキング機能だけとしたP38Kが2,600挺生産されました。

P38K

特徴

強力な弾丸を安全に発射できるショートリコイル式の撃発システム。

大型軍用拳銃としては画期的なダブルアクション機構を組み合わせた自動式拳銃です。

1930年代まで、自動式拳銃の操作方式はシングルアクションが唯一でした。

これは、撃鉄を起こしてあれば軽い力で引き金を引ける利点がありましたが、暴発のリスクもあり、常に手動安全装置をかけなければ携帯しにくいものでした。

ダブルアクション機構は、撃鉄を起こさなくても引き金を引いていけば自動的に撃鉄が起き上がり、そのまま引き切ることで発砲できるため、シングルアクションに比べ引き金は重くなるが暴発のリスクが少なく、手動安全装置への依存性が減ります。

また、ダブルアクション機構なら弾薬が不発であっても、再度雷管を叩くことを試行できます。

この機能は20世紀初頭には回転式拳銃ですでに広く普及していましたが、構造が複雑化するため、同時期採用されていたコルト・ガバメントなど多くの大型軍用自動拳銃には採用されていませんでした。

ワルサー社は1929年に開発した中型自動式拳銃ワルサーPPで、自動式拳銃としては世界でも早い時期にダブルアクション機構を導入。

ワルサーPP

P38のダブルアクション機構はPPの流れを汲むもので、シングルアクション併用型。

命中精度は軍用拳銃としては高く、従来のルガーP08に比しても故障率が減り、スライド上面に大きくえぐられた開口部は排莢の確実性に貢献しました。

ワルサー独特のショートリコイル機構は、スライドと銃身を直接噛み合わせて銃身の下降・開放で遅延ブローバックを実現したブローニング方式と異なり、別体のロッキングピースを用いたことで銃身の上下動を不要とし、命中精度を高めています。

また、銃身先端付近の保持が必要なくなったため、前方に銃身の伸びたデザインを可能としています。

P38のショートリコイル構造は横フライス加工だけで銃身、スライド、フレームそれぞれの噛み合わせを形成する事が可能となっており、P08のような複雑な切削加工を必要としません。

大量生産にも向いていたというわけですね。^^

第二次世界大戦中にヨーロッパ戦線に赴いたアメリカ兵の間では、P08と並んでこの拳銃を鹵獲することがステータスになっていたといいます。

バルジの戦いの最中には、ドイツ側で「捕虜の米空挺隊員がP38を所持しているならば(戦死者の仇だから)即刻処刑せよ」との命令が出されたという逸話も。

操作

弾倉を入れスライドを引いて第一弾を薬室に装填した状態でコッキングされている撃鉄は、安全装置を下げてセーフティーポジションにすることでコッキング解除(デコッキング)されます。

この時、ファイアリングピンはシアと連動したファイアリングピンブロックとセーフティーレバーでロックされ、安全にデコッキングが行えます。

この状態では、引き金は後退した位置で保持されます。

セーフティーレバーを上に押し上げてセーフティーOFFの状態にすると引き金が前進し、ダブルアクションによる射撃が可能になります。

オートマチックファイアリングピンブロック(AFB)により、この状態で持ち歩いても危険はありませんが、大戦中に作られた粗悪なP38の中には、この一連の安全装置の精度が悪いものも存在したといいます。

そりゃ、こんだけあっちこっちで大量されてりゃあね。。。^^;

初弾はダブルアクションになりますが、この状態から撃鉄を起こせばシングルアクションで初弾を撃つことも可能。

薬室に弾丸が装填されている場合は撃鉄上のシグナルピンがスライド後端から飛び出すので装填状態が確認できます。

弾倉交換を行う場合、グリップ下のマガジンキャッチを後方に押しながら弾倉を引き抜きます。

欠点

スライド上部のカバーは、プレス加工で作られた板バネ状のラッチで引っかける簡単なものであり、連続で射撃を行うと反動で外れてしまうことがあったといいます。

その際、リアサイトも外れることがあり、射手を傷つける恐れもありました。

(撃ってたら部品まで吹っ飛んでくるとか怖すぎw)

この点は、戦後に生産されたP1の改良型であるP4で改良されてます。

また、部品点数はソ連のトカレフ拳銃の倍。

ルガーP08に比べて簡略化されたとはいえ、軍用拳銃としては多い部類に入ります。

思ったよりも機構自体は複雑というわけですね。

しかし、射撃後の通常分解ではスライド、銃身、フレームの大きな3つの部品に分かれるのみです。

また、本銃固有の問題ではありませんが、戦後の西ドイツ連邦軍では設計が古い点、その際、老朽化によって

「威嚇射撃8発、必中投擲1発」

というジョークが生まれたといいます。

なんでも、全弾撃ち尽くしても命中せず、最後には銃を投げつけてようやく当たるという意味なのだそう。^^;

まさに“撃てる鈍器”!?(笑)

さてさて、いかがだったでしょうか。

当時としては画期的な機構を備え、長きに渡って愛されてきたワルサーP38。

紛れもない名銃であることに間違いはありません。

デビュー当初は、まだ未完成で時代と共に改良が加えられ、今日に至るといった側面が強いかも知れません。

ロングセラーであるためか、そのバリエーションの豊富さにも驚かされます。

今でこそ使用する軍や法執行機関は少なくなったものの、未だコレクターの間では高値で取引されていたりと、その人気の凄さが分かります。

映画やアニメ、漫画などによく登場するのも頷けますね。

あなたはどう思いましたか?

参考文献:Wikipedia