【シャア・アズナブルのモデル】赤い彗星は実在した!? マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの生涯
- 2021.07.27
- 事実は小説よりも奇なり

どうも、さかいです!
皆さんはガンダムはお好きでしょうか?
放映から、ほぼ半世紀近く経った現在でも愛され続けてる本作。
ファンの方も多いのではないかと思います。
その中でも一際、人気の高いキャラクター。
赤い彗星こと、シャア・アズナブル。
そのモデルとなったとされる人物がいるのを、あなたはご存知でしょうか?
今回は、そんな実在したリアル『赤い彗星』について紹介していきたいと思います。
マンフレート・フォン・リヒトホーフェンとは?

リヒトホーフェン(1917年〜1918年頃)
マンフレート・アルブレヒト・フォン・リヒトホーフェン男爵(1892年5月2日 – 1918年4月21日)は、ドイツの陸軍軍人、戦闘機パイロット。
第一次世界大戦参加各国で最高の撃墜機記録(80機撃墜、ほか未公認3)を保持するエース・パイロットとして知られる。
乗機を鮮紅色に塗装していたことから「レッド・バロン」や「赤い悪魔」の異名で呼ばれた。
その紳士的な態度は天駆ける騎士と賞賛される。
尚、各国によって異名は異なる。
『赤い戦闘機乗り』 (ドイツ)
『小さな赤』、『赤い悪魔』(フランス)
『赤い騎士』、『赤い男爵』(イギリス)
数々の異名に「赤い」と付くのは、彼がエースとして両軍で名声を得た後、乗機全体を明るい赤で塗装したことによる。
(まさに赤い彗星!)
※ちなみに彼が全体赤色の機体を使用した期間は、戦争後期の敗色濃い後半以降で、全ての乗機が赤色だった訳ではない。
(まあ、シャアだって赤くない機体にも載ってるしね!)
彼は騎士道精神に溢れ、共同撃墜の場合は戦友に功名を譲るなど、戦友愛を持ち、ストイックで責任感が強く統率力に富んでいた。
背丈はそれほど高くないとされる(もっとも身長は180cmと当時としては平均以上であった)が屈強な体格を持ち、金髪を短く刈り上げたハンサムな彼は、ドイツ帝国きっての女性の憧れの青年であった。
ゆっくりとした口調で語り、プライドが高く孤高を保った(しかし、戦友はそれをはにかみ屋の性格を隠すためのものであると考えていた)。
(まんまシャアじゃん!w)
攻撃に熱中すると周囲の状況が全く見えなくなってしまうという大きな欠点があり、そのため、幾度となく窮地に陥り、最後には致命的な結果を招いた。
撃墜王伝説

アルバトロス D.II
リヒトホーフェンの乗機はアルバトロス D.II。
彼の最初の公認記録は1916年9月17日、フランスのカンブレーピーリエー=プルシン上空で、ベルケに随伴して哨戒飛行中イギリス第11飛行中隊のモリス少尉とリーズ中尉のEF-2b複座戦闘機を単機で撃墜したことによる。
リヒトホーフェンはこの後も戦果をあげ続けた。
1916年11月23日にバポーム=アルベール上空で、マンフレートは当時のイギリス最高のエース、ラノー・ホーカー少佐のエアコー DH.2と交戦、45分に及ぶ激闘の末に勝利して一躍有名になった。
彼は1917年1月までに16機を撃墜(他に1916年10月25日に英軍BE-12機の未公認撃墜1機)してドイツ軍人最高のプール・ル・メリット勲章を受章した。
同月、彼はエリート・パイロットたちで編成される第11戦闘機中隊の中隊長に任命された。
この中隊は部隊の識別色として機体の配色に赤を採用したが、中でもリヒトホーフェンの乗機は全体が赤く、特に目立つ物であった。
このことはドイツ国内のプロパガンダに使われ、敵にも「赤い戦闘機乗り」の名が知られるようになった。
1917年3月28日にティヨワで公認31機めとなる英軍ニューポール 17戦闘機を撃墜した後の3月の末から4月の初め、5機編隊のリヒトホーフェン中隊は15機の英軍編隊を発見した。
リヒトホーフェンは編隊から離れた敵機に対して攻撃すべく接近したが、射撃直前に敵弾が乗機エンジンと2個の燃料タンクに命中し、ガソリンを噴出しながら不時着した。
危うく空中爆発の危機を乗り越えたリヒトホーフェンは以後攻撃一辺倒の性格を抑制すべく努力した。
血気に逸りすぎることが自信過剰と不注意に繋がることを学んだが、ここ一番というときに防御が甘くなる欠点はこの後も完全には克服できなかった。
初めての空戦での敗北であったが、それに恐れることもなく4月2日にはファルビュスで公認32機目の英軍のBE-2d複座機を早々に撃墜している。
赤い悪魔の失墜

リヒトホーフェンが最後に搭乗していたフォッカーDr.I 425/17の復元品
1918年4月21日朝、前日に2機の英軍戦闘機を撃墜して公式記録を80機としたリヒトホーフェンは、フォッカーDr.I 425/17に乗り込み、カピーの飛行場を僚機と共に飛び立った。
リヒトホーフェンは、第11飛行中隊のDr.Iと第5飛行中隊のアルバトロス D.Vからなる15〜20機で飛行中、11機のソッピース キャメルで流れるソンム川周辺上空で空中戦となった。
当初リヒトホーフェンは、第5飛行中隊の先駆隊が空戦に突入したため、自機の位置から攻撃に参加せず周辺で旋回援護していたが、機銃の不調により戦域を離脱しようとしていた第209戦闘機中隊の新人パイロット、ウィルフリッド・メイ中尉搭乗のキャメルを発見し、低空を飛ぶメイ機を追って攻撃に入った。
メイの窮地に気付いた上官のアーサー・ロイ・ブラウン (Arthur Roy Brown) 大尉が、リヒトホーフェン機の後方から降下しつつ銃撃を浴びせた。
ブラウンが再度攻撃するために上昇旋回する間にリヒトホーフェンはモルランクール丘陵に展開するオーストラリア軍地上部隊からも銃撃を受けた。
リヒトホーフェンは乗機右側面から肺と心臓を貫通した1発の.303インチ弾によって致命傷を受け、ドイツ時間で11時45分頃、ヴォー=シュル=ソンム北側の飼料ビート畑に不時着。
オーストラリア軍兵士達が駆けつけた時点でリヒトホーフェンは死亡していたが、胸からは未だ血が流れていた。
また、遺品の財布の中には非常にチャーミングな少女の写真がはいっていたという。
25歳没。最終階級は騎兵大尉。
敵味方から最高のエースと賞賛された彼の戦死は連合軍の宣伝に利用され、葬儀の翌日写真や宣伝文がドイツ軍前線の背後にまかれた。
リヒトホーフェンに致命傷を与えた射手は現在に至るまで確定していない。
当時はイギリス空軍がブラウン大尉の銃撃による撃墜と認定したが、ブラウン機の射撃位置はイギリス軍によるリヒトホーフェンの検死で確認された銃創の入り方とかけ離れているため、現在では否定されている。
地上部隊による撃墜説としては、ルイス軽機関銃でリヒトホーフェン機に銃撃を与えたオーストラリア軍第14野砲旅団第53砲兵中隊のロバート・ブーイーによる撃墜の主張が存在するが、当人の証言した相対位置ではリヒトホーフェンの銃創を残すことが困難なため、近年の検証では、ブーイーとは別の地点からヴィッカース重機関銃でリヒトホーフェン機を銃撃していたオーストラリア軍第24機関銃中隊軍曹セドリック・ポプキンがリヒトホーフェンを撃墜した可能性が高いと考えられている。
さてさて、いかがだったでしょうか?
その卓越した戦闘機の操縦技量に始まり、容姿端麗さ、性格、果ては少しばかり自信過剰(?)なところまで、まさにリヒトホーフェンがシャア・アズナブルそのものであったことが、お分かりいただけたことかと思います。(笑)
あとは少々、上手に立ち回る狡猾さがあれば……。w
戦術にかんしても攻撃に特化していて防御が弱かった部分があるなど、完璧すぎないところも魅力ではないでしょうか。
まあ、結果的にそのことが命取りになってしまったわけですが。
それを差し引いても、リヒトホーフェンが他に類を見ない天才的センスを持ち合わせていたパイロットであることに変わりはありません。
にしても、いつの世も群を抜いた才能は政治利用されてしまうものなのですね。。
皆さんは、どう感じましたか?^^
引用:Wikipedia
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